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  1993年オフロード世界選手権 イギリス


  1993年世界選手権 YZ−10プロト      2022/09/15


 
1993年シュマッカーの本拠地イギリスでの世界選手権、シュマッカー40台
 ヨコモ40台という正に一騎打ちの様な状況となった。

 今回は、ワークス’93を改良した、プロトタイプで参戦。このご後モデル
 チェンジが予定されていた為に、一部成型品を使用する事となった。




 参考資料

 1993オフ世界選手権 決勝ビデオ(第2ラウンド)
  http://youtu.be/vDwX3DGLuPo


 レースレポート@
 http://www.hirosaka.jp/story50.html

 レースレポートA
 http://www.hirosaka.jp/story51.html

 レースレポートB
 http://www.hirosaka.jp/story52.html





 1989年より、YZ870をベースに改良を加えてきたが、ここでフルモデル
 チェンジを考え、ワークス’93をベースにプロトタイプを製作。







 
今回のコンセプトは、低く、強く、軽く、グリップを上げる事。


 ウイングはリアのトラクションを上げる為に、かなり高くセットした。








 プロポはKO製。


 ESCはノバックを使用。


 ベルトは抵抗の少ない2Mピッチを採用。




 メインシャーシは3mm厚。


 フロント部は10度のスキッドをつけている。


 アームはガルアーム。断面を丸くして土等を付きにくくする。厚みは9mm。


 少し重い為に手加工でくりぬき軽量した。


 リアも同じくガルタイプ




 リアバルクヘッドは従来のマグタイプを軽量加工。




 フロントバルクヘッドは、ニュータイプの成型品、Aアームを採用。


 ハブはマグネシウムを軽量化。


 正美はホイールバランスを取っていた。


 リアもマネシウムハブ。


 スポンジで防塵対策。



 このマシンは、世界選手権用のプロトタイプだが、レース参加のチーム
 ヨコモの選手に40台をサポートした。

 翌年、YZ−10として市販モデルが販売された。



  1988年1/12世界選手権 RC−12L


  1988年世界選手権 RC−12L      2022/09/05


 
1986年まで、打倒ワークスを掲げ挑戦したが、全日本選手権優勝をする
 事が出来、翌年にはオフロードにて世界選手権優勝を果たす事が出来た。

 そして1988年に正美と共にヨコモに入社し、始めての世界選手権、1/12
 にアソシワークスとして認められ、参加する事となった。

 初めてのワークスとしての参加、ましてや世界のNO−1チームでの参加となり
 何も分からないままで、失敗ばかりのレースであったが、皆の後押しで何とか
 優勝する事が出来た。

 この世界選手権ではレースまでに多くのテスト、練習の機会があり、また予選
 も9回も行われ、予選3日のレースレース終了後にも練習が出来、正美にとって
 は、大変多くの良い練習となった。


 
1998年1/12世界選手権 レポート @
 http://www.hirosaka.jp/story21.html

 1998年1/12世界選手権 レポート A
 http://www.hirosaka.jp/story22.html


 1997年オフロードに続き連覇する事が出来た。 オン、オフの優勝は
 史上初となった。



 ライバルでチームメイトのトニー・ナイジンガーと対戦。




 今回は大会中、どんどんとマシンが進化していった。


 ボディも決勝前日に、軽量ボディが入手。アソシの社長の指示で
 参加選手の一人が、自分のレースを放棄して徹夜で塗装をしてくれた。




 塗装して頂いた、選手のサインです。 大変喜んで頂きました。


 マシンもどんどん変化していきました。






 モーターマウントも一体型の削りだしで、ドイツの選手がサポートして
 くれました。




 ハブはマグネシム製。








 モータマウントブレースにはテフロンテープを貼り付け。


 今回は、光美も手伝いのつもりで参加させたが、最終予選前までは、
 全体の9位にいて、皆をびっくりさせた。 もしAメインに残ったらどうしよう?
 と心配していた。 幸か不幸かBメインで安心した。

 しかし、正美の予備カーのほぼ市販品での健闘、皆の評価は大変高かった。




 今回のレースで改めてワークスの凄さを知ることが出来た。我々は大変幸運
 で良い結果を得る事が出来たが、チーム内での地位を保つ事は大変な事
 だという事を教えられた。 戦いはレースだけでなくチームの中でも戦わなければ
 ならない。




  ALF アルフの歴史


    歴代アルフ                 2022/08/28 記載



 
1982年1/12レーシング全日本選手権への参加が決まり、従来のFRPカー
 から、ニューマシンを企画。 たぶん誰も使用した事が無いと思われる、ポリカを
 使用したマシンを開発。
 
 超軽量を目指し、全備重量650gを実現したが、走行性能は満足出来るもの
 では無く却下。(まだアルフの命名は無し)





 そしてポリカ1号車を発展させ全日本選手権カーを完成させ、全日本選手権に
 挑戦。


 1982年 全日本選手権 初参加 レポート
  http://www.hirosaka.jp/story7.html



 全日本選手権では、レースは8分間レースと言う事だが当時私たちは周回
 レースのみで長くても2分間位のレースの経験しかなかった。

 何とか8分間を持たせようとすると、極端にスピードを落とさなくてならず、また
 スピードを落としても8分間の走行は大変難しいものだった。

 そこで苦肉の策で、途中で充電するのは? と考え、ピットして充する奇策を
 考えた。 6分過ぎで12Vで10秒直接充電する事で約2分間走行を延ばす
 事が可能となり、トータルでは速くなる事が分かった。

 レースで予定通りピットインして上手くいったが、ピットアウト時に他の助手が
 ピットレーン入り、その人に激突し、大きなダメージとなった。










 全日本選手権では、改めてワークスの大きな力を見せ付けられ、カルチャー
 ショックを受けたが、私は2輪のレースでも準ワークスに所属していた為に、ワークス
 でも必ず攻略出来る術はあると信じ、闘志を燃やした。


 
アルフの誕生
 
 そして次に考えたのは、ワークスに対抗する為には、何か違ったシステムを
 採用するしか無い、これはHONDAの社長、宗一郎氏の教えで、他のメーカー
 が殆ど外国車のコピーをしている事に対してHONDAは、追従するのでは無く
 遠回りしてでも前へ出ろと、いつも私達に教えてくれました。

 そこで、1/12では、まだどこも採用した事の無いサスシステム4輪独立懸架を
 やってみようと考えた。当時実車のF−1も大変人気があり、多くの書籍でシステム
 等の紹介をされていた。

 そして4独カーの製作に取り掛かった。 レース活動をする為には多くの費用が
 必要となる、その為にはマシンを販売して資金を稼ぐ必要があった。
 また、パーツの製作も必要な為、すべてを自分だけでは出来ない為に、ABC
 ホビーに4独カーの発売を持ちかけた。

 まずは、一般の注目を浴びる必要がある為に、ちょっと奇抜なデモカーを製作し
 ホビーショーに出展した。











 ちょっと遊び心を込めて製作した、4独カーは大変好評で多くの賞賛を得ることが
 出来た。 そてABCも4独カーに興味を持って貰う事が出来た。

 そこで本格的にレースで使用出来るマシンの開発に取り掛かり、1号が完成しました。
 また、これは資金獲得の為販売しなければならない為に、ネーミングが必要となった。
 そこで、家族で考えて決まったのが
”アルフ”だった。アルフは正美の守り神であり又
 廣坂家にとっても大切な神である。













 アルフー1

 私達が全日本選手権に挑戦用として開発したマシンです。


 
1982年、初めて1/12全日本選手権に参加。 ワークスのレベルの
 高さを思い知らされ、私は打倒ワークスを目標にオリジナルマシンで対抗
 するべく、新しくマシン開発をする事とした。 殆どの参加車は3Pシステム
 の為、私はあえて4輪独立サスペンションカーを選択した。

 当時実車では殆ど4独システムで、機構は複雑だがコーナーリングは速いと
 聞いていた。 また我々プライベートではパワーソースでは全く歯が立たない。
 ワークスに対抗するにはコーナーを速く走るしかないと考えた。

 そこで誕生したのが、アルフだった。ただ機構が複雑な為、パーツも多く必要で
 また私達には成型等は出来ない。そこで立体的なパーツを製作するにはポリカ
 は強くて良いと聞いた為に、ポリカーボネートを手切りで切り、組み立てをする
 方法で製作をした。

 一番最初の ALF−1 アルミパーツ以外は殆どポリカーボネートで製作

















 ステリングブロックもポリカの削りだし。シャフトはFRP。







 駆動部、やはり少し複雑になる。


 フロント部のパーツ


 駆動系


 独自のスイッチ盤
 ニクロム抵抗のスイッチ盤が多い中、抵抗を使用したスイッチ盤
 純銀接点を使用し、殆ど接触不良は無い。


 抵抗値を変えることで、変速のタイミングを変える事が出来る。


 プリント基盤に純銀板を貼り付け、ノコで切る。前進7段後進5段。
 最高は10段まで製作した。 当時販売していた。


 スライド接点はビスに純銀接点をロー付け。


 全日本選手権仕様には、抵抗に代わりプラチナ線を使用。


 ALFには色々なバージョンが存在する。















 そして1983年アルフは、販売を始めまたバージョンアップ繰り返し、アルフー7
 で再度全日本選手権に挑戦する事となった。 アルフー7はレース専用の為
 極限まで軽量化して、パワー不足を補う様に考えた。


 
1983年1/10全日本選手権 レースレポート
 http://www.hirosaka.jp/story8.html







 1983年 全日本選手権3位に入賞する事が出来たが、やはり4独では
 構造が複雑で、駆動ロスも大きく、重量も重くなる為に、ここで4独を諦め
 ALF−8からは3Pとして開発を進めた。

 ALF−9は、フロント独立サスで、リアーは、リンクサスとした。 ただ走行性能
 は大変良かったが、販売するには、手間がかかり過ぎて収益にならなかった。
 そこで、最大限の妥協をして、カーボン仕様のマシンを製作する事にした。
 それが、ALF−10となった。








 ALF−10






 ALF−10

 ALF−7にて全日本選手権3位に入賞する事が出来、4独の特異性も
 十分にアピール出来、今度は本格的に勝に向う事が必要と考え、”勝てる
 マシン”を作る事と考え、駆動系の軽さそして全体も軽くする為にカーボンを
 多用し全くの新設計で挑む事とした。




 そして、迎えた1985年 全日本選手権 我々の地元とも言える
 大阪万博会場での開催となった。

 1985年 全日本選手権 レポート
 http://www.hirosaka.jp/story9.html







 ポリカ仕様から一新してカーボン仕様となった、アルフー10


 フロントサスは、ダブルウイッシュボーンタイプ。 ダンパー装備。
 スティールのスタビ。


 Fサスアームピンは、6mm丸棒から3mmまでヤスリで削り出し。


 Rサスはアルフ−8、9でテストした、4Pとも言える、独自のサスシステム。


 フロントダンパーは、フリクションタイプ


 リアダンパーは、オイルダンパー
































 今回の塗装は私のデザイン、及び塗装です。


 MASAMI をデザインしました。




 仲間達の寄せ書きがボディ裏に...


 フタバプロポのサポートを受けていました。 当時車用のプロポが無かった為
 ヘリ用のプロポを使用していた。






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 最後のアルフ、アルフ−11

 アルフにて全日本選手権挑戦5年めにして、今度は世界選手権への
 参加のチャンスが巡ってきた。JMRCAがツアーにて世界選手権の参加の
 募集をしていた為に、我々も無理を承知で参加する事とした。 
 海外レースは勿論始めての事で、大変費用も掛かるが仲間達が応援して
 くれて参加する事が出来た。


 世界選手権 レポート
 http://www.hirosaka.jp/story10.html





 勿論我々は世界選手権には大きな期待はしていなかったが、やはり大きな
 カルチャーショックを受けると共に、何となく”行ける!”と言う感覚も感じ取る
 事も出来た。

 このレースで正美は、リーディ氏の目に留まったそうだ。後日に聞いた話だが
 正美は当然全くの無名の少年だが、スピードは桁違いに遅いが、コーナーを
 ギリギリまで詰めて、今にも当たりそうな所まで攻める正美の走法が大変
 印象に残ったようです。

 そして、私が一番印象に残った事は、レース終了後の表彰式が終わった
 後に、正美が一人ぽつんと表彰台に立ち、この上に立ちたかった...と
 一言。 この時私は、よし必ずこの上に立たせてやる! と、心に誓った。



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 悲願の全日本選手権 優勝

 世界選手権より帰国後直ぐに全日本選手権に参加

 1986年全日本選手権 レポート
 http://www.hirosaka.jp/story11.html












 苦節5年ようやく手にした全日本選手権チャンピオン。 しかしこの時には
 もう精神的にも金銭的にも、限界で今後の事は全く考える余地は無かった。
 アルフも目的を達する事が出来た為に、ここで終了する事とした。

 歴代アルフ  終わり


  アルフ 2022


 アルフ生誕40周年記念 アルフ2022  2022/07/12 記載

 
1982年アルフ−1 が誕生して40年となり、これを記念してジーフォース
 よりアルフ2022が販売となりました。


1982年アルフー1をベースとして新たな設計も含めて再現しました。
限定33台の製作販売です。

 ボディは川田模型のザウバーで百武塗装となります。










 販売は、サーボ、バッテリー、モーター、ESCが含まれます。すべて配線済みで
 あと、受信機を搭載すれば、直ぐに走行可能です。



 樹脂パーツはポリカーボネート製で、手切りで製作しています。

ポリカーボネート
 
(ウィキペディアより引用)

 透明性・耐衝撃性・耐熱性・難燃性・寸法安定性などにおいて、
 高い物性を示す。耐衝撃性は一般的なガラスの250倍以上といわれる。

 エンジニアリングプラスチックの中でも平均して高い物性を示す樹脂であり、
 かつ透明性をもつために光学用途にも使用でき、その物性に比べて安価であり、
 航空機・自動車など輸送機器、電気・電子光学・医療機器、防弾ガラスの
 材料などに広く用いられている。機械的強度も優れているので力のかかる
 プラスチックねじで最も多く使われている材料である。

 サンスター文具は本材料で作った筆入れ「アーム筆入れ」の頑丈さを、
 「象が踏んでも壊れない」というキャッチコピーのテレビCMでアピールした。
 採用契機は、開発担当者が「ニュース映画で見た『暴走族が信号機に投石
 しているにもかかわらず、信号機のレンズが割れなかったこと』に驚き、警察に
 問い合わせて材質を聞いた」ことにあったという。






 モーター、バッテリーは、アルフ2022専用ロゴマーク入り。
 ESCもMASAMIグリーン。すべてジーフォース製。(サーボも含む)










 
ホイールは、66ナイロンのマシンカット。 一般では殆どが樹脂成型品ですが、
 マシンカットは精度は抜群。ヨコモ時代にはレース用として何とか採用したかった
 のですが、あまりにもコストが高く、一度も採用する事が出来ませんでした。





 アルミパーツは金色のアルマイトとしました。






 バンパーは、ただのデザインではなく、フェンスにヒットしたときに、跳ね返る様に
 何度もテストしました。












 リアーのプレートはバンパーとなり、フロントのプレートにはシリアルNOを掘り込み
 ます。








 デフはボールデフ、ギアは、スパー、ピニオンは、ひろさかSPL。


 駆動パーツはすべてアルミのマシンカットです。(日本製)





 お問い合わせ info@hirosaka.jp




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