廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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  Vol−15

  1987年 オフロード 世界選手権 (イギリス ロムジー)
  
  




 世界選手権参加への道のり

 孤独で過酷な練習を続ける事約半年、世界選手権まであと約一ヶ月位と
 なり、そろそろと本格的な準備を始める事となって来た。これまでには世界
 選手権でパワーソースを担当してくれる関口氏やHPIの渡辺氏と共に関東
 のレース等に参加させて貰っていた。私と離れてレースをするのは初めてだが
 当時日本で一番レベルが高くワークス達が参加する、いちむらサーキットにて
 1/12のレースに初参加して優勝したり、またODSの富田氏達が長く続け
 ている、1/20のレースにも、招待して頂き、ここでも優勝したり、確実に
 実力が上がって来たのを感じる事が出来た。

 そして世界選手権を控えて、我々には大変大きな問題が立ちはだかった。
 それはメカ等の問題だった、まずはサーボはオフでは強力なトルクとスピードが
 要求されるが、サポートを受けているフタバではまだ開発中で、有効なものが
 無かった。その為に小型サーボを2個使用する事で何とか凌いできたのだが、
 ここで大きな問題が発生した。 

 それは世界選手権のルールブックが送られて来て、良く読んでみると、サーボ
 はステアリング、及びスピードコントローラーに各1個のみ使用可と明記されて
 いた。勿論私は知らなかった。 確認の為渡辺氏に問い合わせて貰った所
 やはりルールブックに記載されている以上は、例外は許されない、と言う事。
 そしてスピードコントローラーも各メーカーがどんどんと新しい強力なものを製作
 し、我々のものは少し非力となっていた。

 そこで渡辺氏は仲良くしているKOに依頼してみてはどうか?という提案が
 あった。そしてKOの専務(現社長)を紹介して頂き相談をした所、自分達
 も最新技術で正美の納得の出来るものを作る、と断言された。

 私は長年お世話になったフタバに対して大変申し訳け無いと思ったが、背に
 腹は変えられない。とお世話を頂いていた許氏に相談をした。しかし氏は、
 正美が本当にそれで自分の実力が出せるのであれば、自分としては自社の
 ものが使えないのは残念だが、正美の為に一番良い方法を取りなさい。と
 言って頂いた。 

 そして、その後は本戦までの短い期間でKOとの本格的な開発、テストが開始
 された、僅かな期間に多くのサーボやESCが送られて来た。サーボについては
 なかなか満足なものが出来ずもう半ば諦めた。このあたりで妥協しないと駄目
 かと思っていた所。出発直前に開発の鈴木氏より、いいものが出来ました!
 とう連絡。これなら正美君も必ず気に入ってくれると思います。

 しかし、この時はもうすでに正美は一足先に、HPIのメンバーと一緒にアメリカへ
 渡り、私とは別便でイギリスに出発した後だった。 このサーボが正美を勝利に
 導き世界を驚かせた、FETサーボだった。


 コンクリートの様な硬い路面、バンクもあり今まで経験した事が無い路面。


 チームHPI オーナー 渡辺氏 と先輩でライバルのKYOSHO 近藤氏。 
 お互い頑張りましょう!

  

 予選スタートは前後2列。 ラウンド毎交互に入れ替わる。


 レースは、まずは2WDより始まる。


 リタイヤした壊れたマシンを受け取る。


 決勝レース、とにかく人が多い。助手でも居る場所が無い。操縦台の下に
 割り込んでレースを見守る。 見学者は¥1000位の入場料が必要だった。



 そして...アメリカ人以外の初めての世界チャンピオン誕生!
 世界中に衝撃が走った。



 生まれて初めてのシャンペンシャワー。 高麗選手も祝福。


 RCレーサーにとって最高の幸せなひと時。


 HPI チームとして初挑戦、そしてチャンピオン獲得の快挙、日本の猛者達。



 以下は私がレース後関係者に配布したレースレポート。 その後この原稿が
 雑誌に掲載されたが、少し編集されて記載された。 下記は当時配布した
 原文のまま、ここで紹介。

 レース後、関係者に配布したレポート。 (原文)










































 多くのラジコン雑誌が発行されていた。













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