廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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  Vol−20

  1987年 1/12 全日本選手権




 オフロード世界選手権が終わり、今度は直ぐに川崎競馬場にて1/12の
 全日本選手権が開催される。 正美は世界選手権のイギリスよりそのまま
 HPIの渡辺氏と共にアメリカへ渡り、そしてピークパフォーマンスの社長で全米
 チャンピオンのリック・ホフワート達と共に帰国。そのままいちむらサーキットにて
 関口氏のメカニックを得て1/12の練習を行った。 その間私は溜まった
 多くの仕事を片付けでマシン等の用意をして川崎へ向った。

 今年は、やはりオフロードの世界選手権が主になった為に正美の練習も殆ど
 がオフロードで、1/12は練習も少なくなった。私の時間もあまり取れなく
 なった為に、オリジナルカーの製作は無理となった、その為にどこかのメーカー
 のマシンを使用する事に決めた。多くのメーカーから、全日本選手権用として
 マシンの提供を受ける事が出来た。 R&Dイシハラ、テック、ABCそして
 アソシ等をテストをしたが、あまり時間も無くじっくりとテストが出来なく、また
 どの車も今までとは大きく性格が違う為に、正美も決め難い様だったが、昨年
 のラスベガスの印象がかなり強いらしく、優勝車のアソシのRC12Lを走らせて
 見たいとのことで、12Lで参加する事とした。

 パワーソースは勿論、HPI UNOモーター関口チューン、バッテリーはピーク
 パフォ−マンス と言う事となり、今までとは違いいずれも超一流のアイテムだ。
 そして通常は1/12ではミニサーボを使用するが、今回はあえてハイスピード
 のFETサーボを使用した。 重量は重くなるがパワーには十分アドバンテージが
 ある為にあえて正美のドライビングの適した大きいサーボを使用した。

 8月21日 練習より始まった。 しかし私はこのレースでの記憶が殆ど無い。
 世界選手権での興奮、そて帰国後も大変忙しい中での全日本選手権
 となり、殆どなにも分からないまま終了した、という感じだった。

 ただ今までの様にスピードでワークス勢劣る事も無くむしろ他を圧倒するパワー
 とスピードを得た正美はまさに鬼に金棒で他車を圧倒した。従来の様に、
 ストレートで抜かれたり、パワーダウンの心配等が全く無くなった正美は、ガン
 ガンとパワーをかけられる事が楽しくてしょうがない様だった。

 予選では2位を1周近く引き離す快走を見せた。しかし決勝レース前には、
 雨が降り出した。そして決勝レースを決行するか、どうか?の判断は選手達の
 意見で決める事となった。私はこの様な状況では、勿論TQ以外の選手は皆
 レースをすると言うだろうと思った。私は正美には、レースの中止を希望すれば
 良いと言った。しかし正美はこのままでは嫌だ、決勝レースをして優勝したいと
 言った。

 そして協議の結果全員一致で雨中での決勝レースとなった。 私は以前にも
 何度も雨中でのレースは経験があり色々とタイヤ等も研究をしていた。
 雨天タイヤは色々な方法があるが、一番グリップをするのがタイヤの周りに
 薄い柔らかいスポンジを貼り付ける方法だ。これだと殆ど滑る事は無くかなりの
 スピードで走行する事が出来る。しかし長くても2〜3分位でスポンジが減って
 しまい8分間は持たない。

 殆どの選手は、コンタクト等のゴム系ボンドをタイヤに塗りつける方法を取った。
 8分間ではこれが一番有効と思えた。しかしこれも8分間グリップを持たせようと
 すると、タイヤに薄く塗り、それを一度乾かしてまたその上に塗るという作業を
 繰り返し、何重にも重ねると少しずつ接着剤が溶けて行き、8分間持続する
 事が出来る。

 しかし、今回はレース開始まであまり時間が無く乾かしている時間が無い為に
 ドライヤー等で乾かしながら時間一杯までタイヤ作りをした。 

 そして、いざ決勝レースがスタート。 案の定正美の車は異常な程グリップが
 高く、一気に他車を引き離して行く。多くの車はグリップが弱くスピンを繰り返す
 車も多い中、正美は快調にトップを走行する。4分過ぎになると、ストップする
 マシンが出てきた。メカに水がはいったのだろう。 そして時間と共に次々と停止
 する車が出てきた。正美もストップしてしまった。

 まだ2台程走行を続けていたが、これではレースにならないと言う事で、競技
 委員長によるレース中止が告げられた。そして予選結果による最終順位と
 なり、TQの正美が優勝となった。

 あっけない幕切れだったが、予選での快走等を考慮しても、誰も正美の優勝に
 疑問を持つ人は居なかっただろう。

 このレースにてやっと今までの正美の努力が実り、大きな花を咲かせた様に、
 思った。 何度も挫折しかけた私だが、何とか継続が出来て良かったと感じた
 時であった。






  








  








  

  





  

  

  

  

  



  




  
  
  
  
  
  
  
  
  
  


 全国より160名の選手が参加。 参加希望者が多く予選を通過するのは
 大変で、全日本選手権参加と言う事だけでも地方では、権威があった。
 殆ど注目されないが、光美も健闘。








  
  

  
  
  







  

  





 
    

   
    

   

   



  

 

  

  

  


 全日本選手権に使用したマシン。


 殆どノーマルだが少しだけ手を加えている。


 通常1/12では、殆どの選手がミニサーボを使用したが、ステアリング重視の
 正美ドライビングでは、サーボのスピード、トルクが重要と考えて、あえて重量
 のハンディを背負うが、大型高速サーボを使用。



 ステアリングブロックの強化板をカーボンで製作。バンパーはポリカ製。


 Tバーの上にも補強板を製作。グリップが向上する。


 スピードコントローラーは、KO製CX−1 世界選手権で使用したものと同じ。


 アンテナはカーボン製、ホルダーはABC社製。


 シャーシーは、DD製グラファイト。


 生々しいタイヤ...雨天用にコンタクトを塗ったまま。



 全日本選手権後にPPのリック・ホフワート氏よりプレゼントされたリフレックス。
 デルタをベースに製作されたが、各部に少しの違いがある。



 フロントのシャフトを回転させてキャスターを調整する事が出来る。


 特徴的な3本ダンパー、縦方向、横方向が独自に調整出来便利だが、
 調整は難しい。



 削りだしの一体型モーターマウント、これに憧れました。


 デルタとは、シャーシー、及びTバーの構造が少し違う。



 ODSトレーディング のマシン。


 各部にかなり独創的なアイディアが取り入れられている。


 ダンパーは2本で縦横を同時にセッティングする構造。


 フロントには、ベアリング内臓のハブを採用。専用ホイールとなる。


 フロント部は、サスバーの取り付け部のスペーサーで角度、高さ等を調節。



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