廣坂 物語
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
***********************************************
Vol−5
カナダより今度は南下を続け、日に日に暑くなって行く、
サンフランシスコ、ロサンゼルス、アカプルコに停泊して4月20日
パナマのバルボアに到着、ここで一泊して朝より、いよいよパナマ
運河を通過して大西洋へ抜ける。
この日はデッキにて食事をとりながら運河を通過する。
キャンベラは45000トンだがこの運河を通行出来る最大級の
船だそうだ。
運河は途中の湖をはさみ両方が川で繋がっている。水位が
違う為に、まずロックと呼ばれるプールの様な所へ船を入れ、
水門を閉めてを水を入れて船を持ち上げる。3段階で約25m位
上がる事になる。意外と早く水が入る。乗客は甲板から作業を
見守る。
上まで上がると、いよいよ川の様な所を進むのだが、川幅が
非常に狭く、くねくねと曲がっている。一見するととてもこの大きな
船が通れる様な幅では無い。
自力で航路を取れない為に、タグボートが左右に3隻ずつ位
着いて船の横から押して進路を変える。ものすごいスリルだ。
ちょうど渓谷下りの様な感じで、川の端スレスレに通過して行く
たびに乗客の歓声が沸く。
少し手を伸ばせば、川岸の木に届く様な所まで接近する。
一歩間違えば川岸に衝突する距離だ。しかしさすがはプロ
集団。見事な舵さばきと言うか、チームワークで無難に通過。
少しずつ川幅も増えて、やがては湖となる。そしてこの湖を
越えれば大西洋となる。
最大の見所、パナマ運河へ...ロックと呼ばれる水路へ船は
入れられる。
水門を閉めて水を入れ、川の高さまで船を上げる。そして
船は川を進む。
カナダを出発してからは、”お友達のジョン”がいなくなり少し寂しく
なったが、今度は変わって同室のチャーリー(70歳)がお遊び
相手となった。 チャーリーは今は独り身で年金生活で、イギリス
に在住だが今回は旅行でオーストラリアに旅行し帰る途中と
と言うことだ。血圧の加減で飛行機には乗りたく無い為に船での
旅となったそうだ。
彼とは同室の為、言葉は良く通じないが色々と話をする事が出来
彼はビートルズの発祥の地リバプールの近くのウエリントンに独り
で住んでいるとの事、私の話を聞き、暫くは家に滞在しないか?
と言ってくれた。
イギリスの着いてからの予定は全く立てていなかった私には、渡りに
船で、願っても無い提案だったので、しばらく厄介になる事とした。
これで、ひとつの大きな不安が解消された。とりあえずはチャーリー
の家でお世話になり、それから今後の予定を立てる事とした。
パナマ運河を抜けると、あと2週間で船旅ももうあと少しとなって
来た。
フロリダでは、映画で大変人気のあった、”わんぱくフリッパー”
と対面。素晴らしい演技に感激。
4月21日 パナマ運河を抜けコロンに停泊し、次の寄港地の
ジャマイカ、そしてバハマ諸島のナッソーへ寄航。小さな島国で
大変綺麗な海が印象に残っている。
そして、26日にはフロリダのマイアミに寄航していよいよ大西洋を
横断してヨーロッパ大陸に入って行く。
マイアミからポルトガルのリスボンまで一気に無寄航で航海する。
一週間の航海となる。 キャンベラの165日間の世界一周航海
ももうあと10日間となった。乗客や船員達もそろそろ下船の準備
に入り、心なしかみんな落ち着かない様子だった。
5月3日にはリスボンに到着するが、2、3日前になると船内では
最後の色々な催しが行われ、また乗客や船員達も長い船旅の
お別れパーティとなった。
リスボンからは、フランスのシェルブール、そして終着のサザンプトン
となるが、この間は殆どが下船客の為に、下船手続き等が行われ
て催しは行われない。
私自身も下船後の予定が決まった為に安心して残りの日を
過ごす事が出来たが、もし誰も居なかったらどうしたのだろう?
大きな荷物約50kgを抱えて、一体何処へ行けば良かったの
だろうと少し怖くなった。
5月6日早朝、いよいよ終着点のサザンプトンに到着する。
岸壁までは川の様な入り江になっており、そこをキャンベラは、
本当にゆっくりと、”今帰ってきたぞ〜!”と言わんばかりに、汽笛
を鳴らしながら、タグボートで岸壁に誘導されていった。
岸壁に近づくと、大変多くの出迎えの人が、顔も見えないのに
手を振っていた。
ほぼ二ヶ月もの間、私の身の回りの世話をしてくれた、二人の
スチュワート達ともお別れの時が来た。しかし彼らには、次回
来年また日本に寄航する事になっているとの事、それとキャンベラ
も来年の航海が最後となり、引退をするとの事。私は必ず神戸
に寄航する時には面会に行くとの約束をした。
(翌年、実際に面会に行き涙の再会をしました。)
そしてイギリスへ上陸。私は幸いにもチャーリーと知り合った為に
何の心配も無く下船の手続き、税関検査等も手伝ってもらい
問題なく通過しチャーリーの友人(良く分からなかったが、たぶん
船で知り合った)と共にレンタカーでウエリントンまで約400km
の車の旅となり、チャーリーの家へ向った。
さあ、これからどんな生活が待っているのだろう? 不安と期待で
複雑な心境だった。
チャーリーと友人
3人レンタカーを借り、ウエリントンへ向った。車はOPEL。
大変良い車だった。
そしてチャーリーの家へ到着。全くのイギリスの田舎。周りには
何もない。草原の中に住宅だけが立ち並ぶ。殆どがコーポレート
ハウスで、さしずめ老人の町といったところ。
チャーリーは、2年前に奥さんが無くなり今は全くの一人暮らしだが
向かいには、従妹夫婦が住み食事等の面倒を見てくれるそうだ。
家はレンガ作り二階建てで1階は2部屋、二階には3部屋あり
十分な広さがある、私に二階の一部屋を与えて貰った。
それから奇妙なコンビの二人暮らしが始まった。当面何も勝手が
分からず、とにかく一日の行動はチャーリーに任せた。朝はスーパー
で買ったパン等の食事、昼はイギリスの定番、フィッシュ&チップス
そして夕食は向いの従妹の所という生活が暫く続いた。
毎日特に何もする事は無く、また”足”が無い為に自分で勝手に
行動が出来ない為に、いつもチャーリーと一緒で、老人の集まり
に参加していた、ローンボーリング(芝生でのボーリング)で遊んだ。
そしてこれからのプランを色々と考えていたのだが、まずは車を入手
する事が重要と考えた。汽車でヨーロッパを回る事も考えたが、
言葉が上手く通じないと難しいと思い、やはり車が一番と考えた。
レンタカーでは費用が高く付くので、安い中古車を探す事とした。
チャーリーに相談すると、知り合いで車のブローカーをしている青年
がいると言う事で紹介して貰った。そして車のオークションへ行き
色々と物色した。私は予算が10万以下でなかなか難しい注文
だったが、二人の青年は快く相談にのり、色々と検討してくれた。
そして一台の車に目を付けて、これが良いといった。これを8万
までだったら落とす。といってセリに参加。5万円より開始、幸運
にも7万円で落札、そして、タイヤ、ショックを交換して少し整備
をして、総額9万円で入手する事が出来た。これは不用になれば
再度オークションに出せば、5万円位にはなるだろうとの事。
レンタカーよりはるかに安く付く。車はボクスオール、私は良く知ら
なかったが大変丈夫で良い車だそうで、ドイツのワーゲン、イギ
リスのボクスオールと言われているそうだ。 約10万マイル走行
されていた。
さて、これから車での放浪の旅の始まりとプランを練っていると、
チャーリーが費用を半分出すので一緒に連れて行って欲しいと
言い出した。しかしこれからは私の予定はヨーロッパをあても無く
旅をする、かなりの強行になる事も予想され、70歳を超えた老人
には少し過激過ぎる、またもし何か事故でもあれば大変な事に
なるので断ったが、どうしてもと言う事なので妥協案として、まず
約一週間でスコットランドを一周しよう。そして私が長年憧れて
いた世界最高峰の2輪レース、マン島TTレースが近く開催される ので、マン島へ行こうと言う事となった。
そして一度家に帰り、それから私は一人でヨーロッパに渡り、何時
になるか分からないが、再度ここに戻って来る、それまでは荷物等
を預かって欲しい。
そして、5月19日イギリスに着いてから2週間、スコットランドに
向ってチャーリーと旅立った。
チャーリと住居。 結構住み心地が良い。
広々とした草原が一杯。 まわりには何も無い。
チャーリーの従妹、いつも色々とお世話にになりました。
5月19日近所の皆に見送られて、ウエリントンを出発。まずは
左回りで、北海沿いに北上しようと言うことで最初の目的地、
ニューカッスルへ向った。道は良いし車は少なく、快適なドライブ
で300km位のドライブも難なく走破。さっそく宿を見つける。
町の外れのいたる所に、Bed & Breakfast の看板を
みかける。これはいわゆる民宿で朝食付きで約1ポンド(800
円)位で泊まる事が出来る。
チャーリーが一緒の為に、交渉、会話には困らない。いつも良い
所を見つけてくれる。
そして北海沿いに北上していくと、どんどんと田舎となり寂れて
いく。海と一面の草原、とてものどかで綺麗な所だ。
イギリスでは高速道路は、AUTOROAD そしてHIGHTWAY
は国道の事を言う。どちらも最高速度が70マイルの為に、
最初は国道を高速道路だと勘違いしてしまった。
同行のチャーリーは大変面白く、単調なドライブでも楽しく話して
くれる。そして過去には色々な所を行っているので、名所も良く
知っていて案内をしてくれる。 我々は当然習慣も言葉も違い
傍目から見ると、大変不思議にみえただろう。
私のつたない英語も他の人には通じ無いがチャーリーとは、ほぼ
80%位は通じる。最初の頃は辞書を持っての会話だったが、
もう辞書が無くても、何とか話合いで理解出来る様になった。
他の人との通訳は英語で英語の通訳をするという、おかしな事と
なる。
二日目には、お城で有名なエディンバラに入る。もうスコットランド
だそうだが、国境も何も無く私には違いが良く分からなかったが、
スコットランド人は、私はブリティッシュでは無く、スコッティシュだと
何度も念を押していたのが印象的だった。
そして、首都のグラスゴーを経由どんどんと北上。家、車、人、
もどんどんと少なくなって行く。あるのは一面の草原ばかり...
果てしなく続く真っ直ぐな道、一日走って2、3台の車しかすれ
違わない事もある。
道のはるか彼方に道路を横断するような太い白線。近づいて
見ると羊の行列が道路を横断、誰も先導はしていない。
かき分けて通る訳にも行かず、行列の終わりをのんびりと待つ。
20分くらい掛かった。日本ではこんな光景を見る事は一生無い
だろう。とにかく景色が最高に綺麗、緑の草原の中に道路が
赤い舗装がされている。緑、赤、そして白線のコントラストが綺麗
で運転を退屈させない。
そしてスコットランドでは、私が一番興味を持っていた、ネッシーを
見る事だ。ネス湖は川の様な細長い湖だった。
インバーネスで宿を取り、未確認生物 ネッシーについて色々と
聞いて見た。 しかし誰もこれは見た事が無く、あれは嘘だという
意見が多い。しかし土産屋にはネッシーの模型や、絵葉書が
売っている。
丁度この時期、日本の調査隊が3年近く湖のほとりで調査を
しているとの事。 我々は早速探検に出かけた。しかしネス湖は
私の想像をはるかに超える大きな湖で、一周すれば100kmを
越えてしまう。 また、道路から湖が見える所が少なく、これは
ネッシーを見つけるのは容易で無いと感じた。
しかし、大変大変神秘的な湖で、皆のロマンがあっても良いと
思った。
そしてまだまだ北上、殆ど最北端まで達した。ここまでほぼ1000
kmを走破した。昔の城跡や遺跡等は多いが、特に何も無く
雄大な自然が果てしなく続き、湖が非常に多い。観光で訪れる
人も少なく、日本人と言うと、地球の果てから来た様に思われる。
なるほどイギリスの地図をみれば、日本は一番端の大変小さな
国で、ある地図では日本が省略されてのっていない!
中国大陸の端を指差して、この辺りにある小さな島国です。
よくそんな所から、独りでここまで来たね? と感心された。
そして、今度は北大西洋側を南下しながら帰路に着く。
毎日同じ様な景色だが全く飽きないのが不思議だった。
お土産にシープスキン(羊の毛皮)が大変安く1ポンド(¥800)
で買えたので、5枚も買ってしまった。
5月31日無事ウエリントンの自宅に帰還。少し強行軍だったが
楽しい二人旅だった。チャーリーも元気で全く問題は無かったが
帰る頃にはさすがに少し疲れたのか? 話をしていると、急に寝て
しまい、私一人でしゃべっている事も多くなった。
スコットランドへ出発。
スコットランドのほぼ最北端にある古い城。
スコットランドより帰り少し休憩を取り、次は私の長年の憧れの
地、マン島にTTレースの観戦に行く事とした。こちらもチャリーの
要望で一緒に行く。フェリー等を使いまた島では人が多い為に
ホテルを見つけるのも一苦労の為に、最悪は車中泊のつもりで
車で行く事にした。
マン島へ。
6月2日 フェリーの乗り場、リバプールへ向って出発。
リバプールはビートルズ誕生の地として有名だが、ここではあまり
感じられない。リバプールより、マン島のダグラスまで約4時間の
フェリー。港へ行ってびっくり、無数のバイクの行列、乗れるのか?
幸いわれわれは車の為に乗り場が違い、案外スムーズに乗船
バイクだと相当待たないと乗れない様だ。
フェリーの中はバイク好きの若者で一杯、座る場所も無い位に
込み合っている。ドイツからバイクでやって来た青年2人と少し
話をした。このレースを見る為に休暇を取り、バイクでドイツから
来たそうだ、愛車はBMW。マン島は日曜日はレースは行わない
その為に、誰でもコースを自車で走行する事が出来る。
島を一周するマウンテンコースは約60kmある。町の一部を
除いては基本的にはスピード制限が無い。その為に多くの
ライダー達は日曜日にコースを走行する。この時はコースは
一方通行となり、アマチュアレース場と化する。
しかし大変危険で毎年多くのライダーが事故で亡くなり、この日
は、ブラックサンデー、マッドサンデー等と呼ばれている。
ダグラスに到着すると、まずは宿を探す。ここもやはり多くの民宿
がある。ホテルは高い為に民宿を探すが、やはり一杯でなかなか
見つける事が出来ない。 案内所等で探していると、後ろから
日本人ですか? と声を掛けて来た人がいた。 私はスペイン人
でマン島へ夫婦で働きに来て、今は民宿のコックをしている。
良かったら私のホテルへ来ませんか?
これは、渡りに船で直ぐにOK! 連れられて行くと小さな綺麗な
ペンション。とても静かで居心地はよさそう、奥さんもメイドとして
ここで働いている。彼の名は、ボロー?..と良く分からないので、
ボローと呼ぶことにした。私は誰もマサアキとは呼べないので、
マサキと紹介する。
ボローは、大変な日本人好きでマン島には多くの日本人がレース
に参加している、特にホンダのファンだそうだ。
私もアマチュアだが、日本でホンダのマシンでレースをしていると
行ったら大変喜んでくれた。
この夫婦は、二人でヨーロッパ等を転々としてまわっているという。
夢は、ロールスロイスのジープを買う事...へえ〜ロールスに
ジープ等あるの?
ボローは、過去にはイタリアで宮廷の料理人もしていたそうだ。
小さなペンションで、お客は10名位しか泊まれない。
しかし、さすがに毎日多くは無いが、美味しい料理をだしてくれる。
しかも一日2ポンド(約¥1,600)は大変安い。
明日(3日)よりレースが始まる。マン島は大変特殊な為に観戦
にも注意が要るとの事で、色々と教えてくれた。まず当然の事だが
観戦の場所まで車で行く事は非常に難しい。コースに当たる
部分は、すべて通行止めとなってしまう。 その為に朝一番に
観戦場所まで行って待たなければならない。 またコースの内側に
入ってしまうと、レースが終了するまで、外側に出られない。
ここでのレースは、一周が長い為にレースは3〜6周で行われる。
コーナーでの観戦だと、ほんの一瞬目の前を通り過ぎて、あと約
20分間位は来ない。それを3〜6回見て終了。観戦はあまり
面白く無い。ただ、レースの進行状況は各地で実況のアナウンス
が入っている。
また、一般道を走行する為に小さな橋等が多くあり、ここでマシン
はジャンプする。このジャンピングスポットも多くの観客の観戦人気
となっている。特にサイドカーでのパセンジャーと二人でのジャンプ
は大変見ごたえがある。
土曜日はボローの勧めでまずは、メインスタンド近くの外側で観戦
をする事とした。この日はまだアマチュアレースでさほど面白くは
無いが、大変多くのライダーが参加をしている。
マン島では、このTTレースの他、4輪レースまた自転車等のレース
が行われ、年間を通じて多くのイベントが行われている。
TTレースだけでも10日間のお祭りである。夜は色々なイベント等
もあり、あちこちで大変盛り上がる。
明日は日曜日、コースを走行する事が出来る。ボローに明日は
自分の車でコース走りたい。と言うと、彼は止めた方が良いと言う
明日は大変多くの2輪のドライバー達が走行し、さながらレース場
となる。車で走行するのは大変危険と言うことだ。
そこでボローは、自分が運転してコース回ってあげると言った。
当然自分は何度もここを走行しているので慣れているので安心
との事。それはありがたい是非お願いします。その状況をみて
後で自分の車で走行する事も出来る。
朝食が終わり、後始末をすれば夕食の準備まで暇となるとの事。
彼の愛車はミニクーパー、少し小さいけれどこの様な混雑の時
には大変有効だ。彼と奥さん、チャーリーと4人で奥さんが作って
くれた、お弁当(サンドイッチ)持って出発。
最初は、ダグラスの街や周辺を観光してコースに入る。勿論コース
といっても普通の道路。やはり多くのバイクが凄いスピードで飛ば
して行く。確かにこれは危険! のんびり走っていると追突され
る恐れももある。ある程度のスピードで走行していなければいけ
ない。ボローはさすがに慣れて要る為に大変上手く走行している。
しかし、道路は決して良い状態とは言えない。サーキットとは
大違いで、ギャップもあるし、ジャンプもある。またセーフティゾーン
等は殆ど無い、コースアウトすれば民家に激突...等の箇所は
何箇所もある。またコースは60kmもある為に覚える事も
大変な事だろう。よくもまあこんな所でレースをしていると感心
した。ここで走るには相当の勇気がいる。私には出来ない。
ここでは見るだけで良いと実感した。
山間部に入ると民家も無くなり見通しも良く景色も大変良くなり
ここだと思い存分に速く走行出来る。長い直線もある。
恐らく200km/h 以上で走行しているバイクもあるだろう。
我々は、コースが見える草原の空き地に車を止めて、昼食を
取った。イギリス人のチャーリーは紅茶、ボロー達はコーヒー、
そして、私はコーラ。皆夫々好みが違う、全く関係の無い3国の
人達がこうして辺鄙な所で一緒に食事をしているのを、大変
不思議に感じた。
でも私達は、国も歳も違うけれど何故か大変な親しみを覚え、
直ぐに本当に仲良くなった。
ボローは、我々が帰る最後の日(9日)には、自宅で本場の
イタリアの宮廷料理を御馳走したいと言ってくれた。
この日は自分が休みを取って家で調理をするとの事。食事には
約4時間位をかけるとの事。私達は滅多に無い機会なので
ありがたく受ける事とした。 ボローは私達の好き嫌いのデータを
細かく集めた。そして準備は3日前より始めるとの事。
マン島では島をあげてのイベントとなる。約10日間のイベント。
世界中から、モーターファンが集まり。2輪レースの最高イベント。
長年の憧れ、マン島TTレースへ...
レース期間は特別にスタンドが設けられる。
サイドカーレースは、日本では見られない。
大変迫力があり、また二人のコンビネーションが素晴らしい。
レースの車検場、厳しい検査が行われる。
レース開始
6月5日、本格的なレースが開始された。
今日の見所はサイドカーレースだ。日本では殆ど見られない。
マン島でのレースは、他のサーキットの様にライダー達が競り合う
事は殆ど無い。これはスタートも10秒間隔で2台ずつのスタート
となる為に、決勝レースでも完全なタイムレースとなる。
その為に観客は夫々のライダーの走行テクニックの観戦となる。
ジャンピングスポットや、難しいコーナーには多くの観客が集まる。
ちょうどラリーの観戦の様な感じとなる。
私達はボローの勧めで、ホテルからあまり遠くない小さな橋の
所に陣取った。コースの各所には多くの警察官が交通整理を
している。レースのスタート1時間程前には道路を横断する道
もすべて通行禁止となる。
多くの観客が夫々のスタイルでレースの開始を待つ。アナウンス
のみがコース上に響き渡っている。
いよいよサイドカー500CCクラスのスタートが切られる。
秒読みが始まり最初の2台がスタート、そして10秒毎に2台
ずつスタートする。このクラスには89台がエントリーしている。
全員がスタートするまで約8分弱かかる計算となる。
最初の組がスタートして約2分位で爆音が聞こえてくる。最初
の2台がジャンプを通過、ものすごい迫力に私は鳥肌がたった。
ドライバーとパセンジャーの二人の意気がぴったりと合わないと
上手くジャンプは出来ない。次々とマシンが通り過ぎて行く。
予選の早いチームよりスタートをする為に、やはり後半の選手に
なると、ジャンプはあまり上手では無い。このレースは3周なので、
3回しか見る事は出来ない。最後の選手が通過すると、あと
20分位しないと、トップは帰って来ない。しかし各選手のジャンプ
やコーナーワークを見ていると大変楽しく素晴らしく、そして興奮
した。
チャーリーは、この様なレースを見るのは初めてで大変喜び感動
をしていた。私は一生懸命に色々とレースの事について説明を
した。チャーリーは、お前もこんなレースをやっているのか? と聞く
はい、でも彼らの様にプロでは無いので、こんなに速くは走れ無い
というと、来年は頑張ってこのレースに参加しろ! と言われた。
勿論、参加したいのはやまやまですが、とても無理です。
レースは隔日で行われる。間の日は車検等が行われる。この時
には、パドックや車検場を見学する事が出来る。また島の各所を
見学した。
そして7日には有名なコーナーで250ccレースを観戦、最終日は
山の長い直線部分で、メインレースの500ccクラスを観戦した。
約一週間のレース観戦、私の長年の夢でもあった、TTレースに
酔いしれた感じだった。しかしここでのレースに参加したいと思って
いた、気持ちは無くなっていた。
明日はもうウエリントンへ帰る、マン島最後の夜約束通り夕方
より、ボローが自宅で夕食の招待をしてくれた。
大きくは無いがこじんまりと綺麗にかざられた食卓に4人分の
食器。真ん中にロウソクが立てられでとても良い雰囲気。
まずは定番のスープ代わりのスパゲッティ、本来なら正式な会食
だと4時間位かけるのだそうだが、少し省略をしたとの事、あまり
最初に多く食べると、あとが続かないので、少しにした..というが
たっぷり一人前はある。 そしてお代わりは? と尋ねる。
もう結構、これだけでももうお腹がふくれてきた。 そして次には
エントリーで色々なオードブルが、これもいっぱい! ゆっくりと
食べれば良いよ。 チャーリーご機嫌ですべて平らげて行く。
ボロー、そして奥さんも...奥さんはとても綺麗で小柄で大変
スリムだけれど、すべてぺろっと平らげる。
確かに大変美味しいけれど、私には多すぎる。無理しなくても
いいよと言われるがやはり残せない、がんばって食べる。
さて、ここで少し休憩。宮廷でも晩餐会では途中で休憩を取る
と言うこと。そしていろいろとお互いの生活や自国の事等の話を
した。私が一人でこうして外国へ来て居る事を驚いているが、私
もボロー達が、色々と働きながら、外国を回って居る事に驚き、
また、羨ましく思った。彼らにはあまり生活観は無く、人生を楽し
んでいる様に思えた。
30分程雑談をして、さてこれからメインコースのステーキを調理
します。 ボローが選りすぐったビーフステーキだそうだ。 焼き方は
レアー、あまり焼きすぎると良く無いとの事、小さくて厚みのある
ステーキ周りにベーコンを少し巻いた、フィレミニオン? さすがに
今までに私は食べた事の無い様な柔らかくて美味しい大きな
ステーキを平らげた。
そして、次は三日間もかけて作ったという、デザートのケーキ。
白いデコレーションケーキだが、中にイチゴや色々なフルーツが
部分分けされて入っている。切ると見た目にも素晴らしい。
もうこの時点では私の腹はパンク状態なのだが、何と不思議に
お腹の中に入ってしまった。 本当に美味しく楽しいひと時だった。
私には何もお礼をする事が出来なく心苦しい思いだった。
この夫婦は、本当に人に喜んでもらえる事に喜びを感じられる人
なのだと思った。
そして、翌朝二人はわざわざフェリーの乗り場まで見送りに来て
くれた。またいつか再会出来る事を誓って別れを惜しんだ。
その後2、3度の便りのやり取りはあったが、二度と面会する事は
出来無かった。
我々は後ろ髪を引かれる思いでマン島を離れ、ウエリントンの
自宅に戻った。
そして私はこれからヨーロッパへ向う為に、本格的な準備に入った。
チャーリーは相変わらず一緒に行きたいと言ったが、これからは、
何時帰るか、何も予定無しで出かける為に、頑なに断り、説得
した。ようやくチャーリーも諦め、早く帰って来るようにといった。
Vol−6 へ...