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 廣坂 物語 
 History of the Hirosaka family and Masami.


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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   Vol−87



















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  MR−4 TCの誕生

 これまでのツーリングカーは、YR−4シリーズでベースはスーパードッグ
 ファイターがベースとなって、色々と改良を加え多くのシリーズを製作して
 きたが、フルモデルチェンジを目指して新しく開発をスタートさせたのは2年前
 それまでには一部のパーツのテストや製作を行ってきたが、一度にすべてを
 一新することは非常に危険な為に、少しずつパーツを試作しながらテストを
 続けてきた。

 そして1996年から、まずオフロードから取り掛かった。これは最終的には
 パーツの大半がツーリンガグカーに併用出来る様にするためであった。

 そこで開発を進めてきたのがMX−4だ。そして世界選手権で良い成績
 を挙げる事が出来、MX−4を発売出来る事が出来た。

 次はこれを元にツーリングカーの製作となったのだが、より安く販売出来る様
 にとメインシャーシ等はカーボンで無く、成型樹脂で製作する事となった。
 これまでの様にカーボンシャーシだと簡単に改造する事が出来るが、成型だと
 変更が大変困難となり、レース向きでは無いと反論したが、レース用は別に
 オプションとしてカーボンシャーシを出せば良いと言う事で妥協した。

 駆動系や足回りは殆ど共用を踏まえて製作した為に問題は無いのだが、
 主要なシャーシを成型樹脂で製作するとなると、大きく性能が変わってしまう、
 そしてそれをいきなりレースに使用するのは非常に危険を伴う事となる。

 そこで浮上してきた案が、まずはラリー車として販売し、それを元にツーリング用
 にテスト改良を加えて行く事だった。

 そして、多くのテストや改良を加え、出来たのがMR−4TCとなった。
 かなりの安価で発売する事が出来たが、当面は我々はこれでレースに参加
 しなければならず、従来とはかなり違う特性のマシンで戦う事となった。

 そこでTCのデビュー戦としてLRPレースへの参加となった。 元々このレース
 には参加の予定は無かったが、発売とのタイミングで会社からの依頼で参加する
 事となった。 LRPレースはリーディレースと同じく世界のトップドライバーが参加
 する、非常にレベルの高いレースである。またコースは一度もテストをした事も無い
 カーペット路面となる。 私はまだまだに詰まっていないTCでの参加に大きな
 不安があり、負けた時のリスクは大きいが、これが我々に与えれた使命と思い
 参加した。
 
 

  1999年 INTERNATIONAL TOURINGCAR RACE

 LRP インターナショナル レース

 ヨーロッパでは、ヨーロッパ選手権についで、ドイツではビッグイベントとして
 2つの大きなレースが開催されている。 一つはケイルDTM。こちらは
 マシンにかなりキツイ制限が儲けられ、ストックのレースで殆どワンメークレース
 となる。

 それに対してLRPレースはモディファイで殆ど世界戦レールで開催される。
 今回はまだ2回目だが今後はリーディレースの様な。インターナショナルレース
 となる事が予想される。

 世界選手権以外では、全米選手権、ヨーロッパ選手権等のビッグレースが
 あるが、いずれも国籍等に制限があり自由に参加出来ない為に、リーディレース
 やLRPレースにトップドライバーが集結する事となる。












  

  

  

  
























   
   
   
   
   
   





  






    









     

   

   

     




 レースでは、大変に良く走り私達にも予想外で最良のデビュー戦となった。
  次はすぐこの後に日本でのリーディレースとなる。




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  1999年 REEDY インターナショナル レース

 リーディ インターナショナル レース (谷田部アリーナ)

 LRPでドイツから帰国後すぐに今度はリーディレースが開催される。
 これは我々にとっては、ホームの谷田部アリーナでの開催となる。
 ホームでの開催の為に、有利と思われがちだが、とんでもない!
 我々はホストとして、準備、運営そして海外の選手の送迎等、レース以外
 の多くの事をこなさなければならず、殆ど自分達の事が出来なくなってしまう。

 1995年の谷田部アリーナでの世界選手権で大きな失敗をした苦い経験が
 ある。 この時は初めての世界選手権開の為、1年以上前から色々な準備が
 必要で、大会前一ヶ月には準備の為殆ど寝られない日々が続き、レースを
 迎えた。

 本命と目されていた正美だが、私の考えられないミスで、一つもタイトルを取る
 事が出来なかった。 4WDではデフが空転するミスを3回もしてしまったのだ。

 今回はそれらを教訓にして、早くから準備をしてレースの臨んだ。










  



  



   

   


   


   









  



  

  

  



   

   

  

  

  





  

  

  







   
   
   
   
   
   



  

  

  

 





  

  







   Vol−88 へ つづく...




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