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 MX−4            TOP
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 * MX−4 物語   Vol.−1

 私の40年以上にわたる、RCカーマシン開発の中で特に思い入れの
 あるマシンは、1983年全日本選手権ではじめて表彰台に上った、
 ALF−7、1994年優勝を宣言して臨んだ、ドイツでのYRX−10
 そして、オフロード最後となったMX−4と、私自身の認識中では最後の
 マシン MR4−TC2002 (YMP−005)となる。

 この中での特に、MX−4は3年以上にわたり開発を続け、全くの新設計
 で1997年の世界選手権に望み、TQ、優勝を果たし脚光を浴びましたが
 その後様々な出来事や、不運に遭遇し大変残念な最期を向かえる事と
 なった、悲運のマシンとなりました。

  その様な事情で私にとっては、一番思い出深い、また自分の人生と重なる
 部分もある様に感じられます。

 このMX−4の歴史を私のRC人生の一部と捕らえ、誕生から引退までを
 記録として残しておきたいと思います。







  MX−4 4バージョン

 MX−4 PROTO世界選手権バージョン


 MX−4 市販バージョン


 MX−4 YMPバージョン (YMP−015)


 MX−4 最終バージョン 世界選手権仕様 (未公開)


 大きく分け以上の4種類が存在します。 順次細部の紹介をします。


  




   

     




















 
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 開発プロジェクト本格スタート

 1995年10月、勿論入社以来開発の中心はオフロード4WDであったが、
 以前は、YZ−870をベースに改良を重ねてきた、その結果89年から
 世界選手権にて4連勝を勝ち取る事が出来た。しかしYZシリーズでは基本
 パーツはあまり変らずそろそろ限界と考え、すべてを一新出来るニューマシンの
 開発を望んでいた。

 しかし現状はすべての力を注ぐだけの余裕は無く、構想だけで終わり現実の
 目前の課題だけに追われていた。

 しかし、夫々の各パーツにおいては、一部の試作やテストは継続していた。
 そして、95年の日本での世界選手権後に、ようやく会社も新規開発の
 許可をする事となった。この背景には今まで同胞であった、LOSI社が新しく
 4WDの販売に踏み切り、そして次回の世界選手権がLOSIの地元である
 ランチピットショップでの開催となる為に、ようやく危機感を持った様に思えた。

 新開発にあたり、まずは私の頭の中で大きなコンセプトの整理をした。 

 全体としては、軽量、スリム、シンプル、駆動系軽減、重量バランス等を
 大きなテーマとし、自分としては出来るかぎり他社の真似はしないという事
 そして真似をされない様に...だった。

 そして全てのパーツを再度見直し、なにか少しでも良い方向を模索する事と
 決め本格スタートとなった。

 当時は、レース部門開発としては、主として私、正美、そして図面作成や
 部品調達の3名のみでほぼ全てを賄っていた。 私は基本的には図面等は
 ひけない為に、口頭や、漫画でデザイナーに伝える、そしてそれを図面化して
 製作社に依頼する。当時はCADの使用も始まったばかりで、まだ十分に
 稼動していなかった為に、非常に時間が掛かった。

 
 
全体レイアウトの決定。 

 細くそして前後のオーバーハングを短くする為には、駆動系のレイアウトが
 非常に大切となる。 駆動は2ベルトで出来る限り低くセットすると決めて
 いた為に、どうしても前後のベルトの配置で幅を取ってしまう。

 この幅が全体のレイアウトに大きく影響する、従来では前後のベルト位置が
 かなり横方向に広がっている為に、どうしてもバッテリー等が広くなってしまう、
 この幅が広くなると、デフの幅も広く、ひいてはドライブシャフトが長く取れない
 と言うこととなる。

 89年の世界選手権のマシンではナロー化の為に、バッテリーの配置を4−2
 の変則的な方法で搭載し、大顰蹙を買った苦い経験がある。

 そして、ベルトは出来る限りセンターへ寄せたい、これはシャーシの捩れに影響
 を与える。 1ベルトにしてセンターに通す方法も模索したが、他に色々と
 不具合が出る為に、これは却下。

 そして試行錯誤の結果、辿り着いたのがモーターマウントとモーターの間に
 ベルトを通す方法である。

 

   

   

 これはわたしにとってはコロンブスの卵であった。 何ヶ月もの間ベルトやプーリー
 と睨めっこをしながら、配置を考えていたのだが、どうしても希望の位置に配置
 する事が出来なかった。しかしこの方法だと一気に私の不満が解決した。
 まずベルトはリアはほぼセンターに配置出来、フロントも5mm程度のオフセット
 で済む、そしてモーターもかなりセンターよりにセットが出来る。

 これがMX−4の一番の発見だったと思う。これにより他に色々な利点が
 出てきた。 メインシャーシは予想通りに狭くする事が可能となった。

 これで全体の主な寸法を決める事が出来る。 バッテリーの配置を決める
 バッテリーは、私は4−2で積む事が一番良いと思っていたが、あえて右側
 には、6セル分のスリットを取り、搭載位置で前後の重量バランスを調整
 する事も可能となった。

 バッテリーの4−2に関しては、多くのチームメンバーからの反発もあったが、
 私が理由を聞くと、バランスが悪そうと言う。 何も分かっていない。バランスと
 言うならば3−3で搭載すると、片方はバッテリー3セル約150gしかし反対
 は、モーターある。モーターの重量は約150g これを単純比較すると左右で
 300g対150gの比率となる。勿論モーターは少しオフセットされるために、
 バランスは少し変るが、4−2だと200g対250gとかなり近くなる。

 また、バッテリーの横方向の積み方で、もっとバランスが取れる。この原理が
 分からないのか? 多くのユーザーは既成観念に捉われている。
 私は他社が採用して無い事を幸運に思った。

 概ねシャーシのレイアウトが決まると、前後のバルクヘッドやデフに取り掛かる
 デフはベルトのオフセットが少ない為にかなり狭く出来る。そうするとバルク
 ヘッドの幅も狭く、アームは長く取れ、またユニバーサルも長くする事が可能
 となる。 アームが長くなるとバンプでの角度変化が少なく、安定する事と
 ストロークを多く取る事が可能となると考えた。

 アームは、最終的には成型をするが、成型をしてしまうと変更が難しい為に
 まずはNC加工品でテストをする事とした。

 駆動系もプーリーを新規に製作しなければならないがこれも成型の為に
 とりあえずは従来のものでテストを開始した。

 モーターマウント、バルクヘッドが出来た所で、メインシャーシを試作して
 走行テストが出来る様になった。 ここまでに約3ヶ月要し開始は、年明け
 96年となった。

 とりあえず走行可能となったプロトは、公にはしたく無い為に、早朝や深夜に
 谷田部アリーナでテストを繰りかえした。 従来のYZ−10との比較を中心に
 テストを繰りかえしたが、部分的には良い箇所は多くあったが、全体としては
 煮詰まったYZ−10を上回ることは非常に難しかった。

 当初は多くの細かいパーツ等は、YZ用を使用していたが、順次成型に取り
 掛かっていかないと間に合わない為に足回りのステアリングブロックやハブキャリア
 等を優先して、決定をした。 足回りのベアリングは、6×10を採用した。
 これは、従来の5mmに比べ幅が狭く、ボールの数が多い為に、軸間が少し
 広く取れ、シャフトのガタが少なくなる事、またシャフトは6mmとなる為に強く
 なるメリットがある。 


 構想がまとまったところで、テストカーを製作。 走行テストの開始となった。
 当初は、すべてを一新するのでは無く、まずは駆動部分とリア部のみ変更し
 フロント部は、YZ−10のパーツを多用して、比較しやすくしてテストを開始。
 すなわち、フロント部はYZ−10、そしてリアーが新設計のものとなり、比較が
 出来る。
 
 
走行テスト1号車











 シャーシ、ショックタワー、アッパーデッキ等は、グラスFRPで手切りで製作。



  バッテリースロットは、右6セル、左2セルで、バッテリーの配分を変えて
  バランスを調整する事が出来る。
  




  フロント部はYZ−10のものを流用。 デフの幅が狭くなった為に、バルク
  ヘッドを切断して幅を狭くする。 これによりユニバーサルを長く出来る。





















 ステアリングブロック等やタイロッドもYZ−10を流用。 ハブは六角でセンター
 ボルトで固定する。



 駆動系は新設計の為、マシンカットで製作。
 フロントベルトがモーターとピニオンの間を通る様にする事でモーターをセンターに
 寄せることが可能。









 リアーデフの幅も狭くする事で、ユニバーサルを長くすることが可能。







 ホイールハブを採用する事で、ホイールの振れを防ぎ、またオフセットを大きく
 するホイールでより長いユニバーサルを実現、これは駆動ロスの軽減となる。
 リアーアームも長くなりギャップの走破性も良くなる。 アームはジュラコンの削り
 出し。







 駆動系、及びリアー部のテストが進み、かなり良い感触を得られる様になり、
 次にフロント部に取り掛かる。 新システムのフロントを採用したモデルが出来、
 テストを続け、今度はレースが行われる現地へ持ち込んでテストを開始する。




 
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 4月始め、ほぼ最終型ともいえるプロトが完成し、国内でのテストに続き
 現地でもテストを開始する。 5月には同じコースでプレワールドが開催される。
 プレワールドでは、まだ使用せずにレース前後でテストをする事とした。


 ほぼ最終型となった、MX−4













 細部にわたり、見直しをして細かい変更を加えてきた。









 
リアー部の大きな変更は、アッパーデッキ、ショックタワー

 アッパーデッキの形状変更










 ショックタワーも簡素化しメンテも簡単で早く出来る様になった。






 アーム及びハブキャリアは成型品が完成。









 フロント部は、従来のYZ−10の流用から、新設計のものとした。
 サスマウントもリアーと同じくジュラコンでマシンカットとする。






















 アーム、ハブキャリア、ステアリングブロック等も成型品が完成。
 バルクヘッドは、サスマウントと一体の為、スキッド角の変更が出来ない為、
 色々な角度のものをテストした。 最終的には強度を持たせる為に、アルミ製
 とした。











 ユニバーサルシャフトは、従来より RC−10に使用していた、MIP製のものが
 大変良かった為に、これを製作しようとしたが、これはMIPが特許を申請して
 いるとの事で、MIPにお願いして特別に製作して頂いた。



 成型パーツは、まず足回りから開始、ハブキャリアやアームの試作が完成。
 フロント部の製作が出来、ほぼ最終モデルに近づいた。

 5月始めには、世界選手権と同じコースでプレワールドが開催される。
 この後、世界選手権まで、ほぼ3ヶ月最終のテストとなるだろう。
 世界選手権では、20名位の多くの選手にサポートしなければならない。
 マシンやパーツを準備するのには、2ヶ月位を要する。

 これまでは、殆ど未公開で開発を進めてきたが、プレワールドではまだ使用
 せずに、プレは従来のYZ−10Wを使用する事とした。

 世界選手権では、直前にコースの変更が行われる。 やはりコースの設定は
 自分達に有利な様に設定される筈だ。 私はLOSIの地元である為に、
 有利なジャンプが多いコースが設定されると読んだ。

 YZ−10は、あまりジャンプは得意では無い、その為にMX−4は、ジャンプを
 重視して設計をした。 これらの性能を見せたくなかった。



 
ほぼ最終仕様となったプロトタイプ、現地に持ち込んでテストをする。






 
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  プレワールド  ← レースレポート等  廣坂物語 Vol.74

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 プレワールドでは、両クラス優勝という結果となったが、これは有力選手は皆
 結果よりもテストを重視する為に、結果はあまり重要では無い。
 我々も本番ではコースも変更されるが、土や路面状況はある程度把握する
 事が出来る為に、タイヤや時間によると面の変化や、荒れ状態等を観察
 する事に重点を於いた。

 そして、レース終了後は、約一週間現地に残りテストをした。大半の選手は
 帰ったが、一部の選手は残りテストをしていた。

 あと本戦まで3ヶ月、今回のテストで得られた結果で、多少の改良を加え、
 本戦用のパーツ等を手配しなければならない。
 そして、7月には再度現地にて、最終テストを行い、サポート選手用の
 セッティングシート等を作成しなければならない。

 帰国後、本戦用のマシンのパーツの製作に取り掛かり、ほぼ最終モデルが
 完成した。



 いざ本戦へ!

 準備を整え約2週間前より現地に入る。今回は大変力強いサポーターの
 ママとマネージャーのミユキが同行してくれる。 ホテルも昨年のオンロード
 世界選手権のコースと近い為に、2年越しに同じホテルに滞在。
 
 CHINO MOTEL 小さなモーテルだがコースまで10分位と近く、
 また隣には大きなマーケットがある。

 ここホテルは中国系の夫婦が経営し、我々に大変親切で、色々と援助を
 してくれた。2年間の内6ヶ月位は滞在しただろうか?別に一部屋を空けてくれ
 冷蔵庫や色々なものを貸してくれママの調理部屋とした。

 そしてママは日本同様我々の炊事洗濯等の面倒をみてくれる。日中我々は
 コースへ行っている間も、一人でショッピングカートにぶらさがり、悪い足を
 引きずりながらスーパーへ買い物に行く。 ママは英語は殆ど話せないが、
 ちゃんと買い物をしてくるのには驚いた。

 レジでお金が足らなくて返品したり、色々とトラブルはあった様だが、そこは
 持ち前のずうずうしさと関西のオバタリアンの心意気で押し通した様子。 
 でも時間とともにスーパーでも人気者になっていったようだ。

 ママはコースには一度も来ないでホテルで食事等を用意してくれた。
 お昼はおにぎりを一杯作ってくれた、特に外国選手は喜んで食べていた。

 レースは見るのが怖いと一度もレース場には来なかったが、最終日の
 決勝で2ラウンドで優勝が決まり、最終ラウンドは安心して見られると
 言う事で、皆がママを連れて来いと言う事で迎えに行ってくれた。

 ママが海外レースに来るのは、89年のオーストラリアについで二回目だが、
 勝利の女神の様で、オーストラリアでは、2WD、4WD両クラスでTQ、優勝の
 パーフェクト、そして今回は両クラスTQ、そして2WDは3位、4WDは優勝という
 快挙を成し遂げた。

 とにかくレース中は普段と変わらない生活が出来る様にしてくれた。
 そして皆の大変大きなサポートのお陰で、最高の結果を得ることが出来た。
 特にランチピットショップのマネージャーは、我々はライバルであるにもかかわらず
 大変好意的で、事前のテスト等でもコースを開放し協力して頂きました。

 レースは無事終了したが、MX−4にとっては、これからが本当のスタートと
 なる。これから市販に向け色々と検証して、テスト、改良をしていかなければ
 ならない。今回のプロタイプは、殆どがNCの加工品でこれでは市販は出来ない。


  
世界選手権  ← レースのレポート等 廣坂物語 Vol.74〜76



 
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MX−4 ワールドチャンピオンレプリカ 発売

 MX−4は、プロダクションモデルの製作を進めると同時に、レプリカの販売を
 求める声が大きく、また市販モデルは成型パーツが多くなり、かなり仕様が変る為、
 50台限定で、私が組立をして発売をする事とした。

 価格は15万円と大変高価だが、発表と同時に完売していまった。
 しかし私にとっては大変な作業で、大変後悔した。 しかし何とか50台を
 完成させた時には、レースとはまた違った大きな喜びがあった。







  

  

  



 
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MX−4の発売

 1998年春 ようやくプロダクションモデルが完成し、発売する事が出来た。
 MX−4のネーミングは、世界選手権の時にアメリカ人のチームメイトが、名前を
 付けたいと言い、ステッカーまで作ってくれた。 まさみ、まさあきの”M”を付け
 未定の”X”そして4WDの”4”で、MX−4が良いといった。

 レースでも車名があった方が宣伝になる。 私は独断で仮名と言う事でMX−4と
 名乗った。

 市販に当たっては会議等で名前を決定するが、レース後雑誌等でこの名前が
 定着してしまった為に、このまま製品名としようと決まった。 ヨコモ製品で頭文字に
 ”Y”が付かない、数少ない名前となった。通常は殆どが社長が命名するが、
 私が付けたのは、YRX−10と、このMX−4だけである。






  


  かくして MX−4は市販に販売にこぎ着け、新たな一歩を踏み出した。



 
つづく...





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