廣坂 物語 
 History of the Hirosaka family and Masami.


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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   Vol−74

 1997年 オフロード世界選手権 プレワールド 5月2日〜4日

 世界選手権を3ヶ月後に控え、ウオームアップレースが開催地と同じランチ
 ピットショップにて開催される。 我々のニューマシンもほぼ完成に近づき
 このコースでもテストを続けてきたが、まだ手の内を見せたく無い事と、プロト
 の為、台数も無く、チームメンバーに使用させるだけの数も無い為に、あえて
 従来のマシンに少し手を加えたマシンで参加をする事となった。

 ニューマシンは、殆どのパーツを見直しボディも新しくした。しかしこれらは極秘
 でテストをしていた為に、殆どの人は見た事は無かったはずだ。

 テスト中もオフロードは完全にカバーがされている為に、中は見えない。
 そして常に他のマシンを傍に置き、時々走行させてカムフラージュしていた。
 コースでテスト中も、ランチのマネージャーは大変紳士的で、我々の様子を
 探るような事はしなくて、また他のドライバー等も近づかない様に配慮をして
 くれた。








      

  

  

       

  

  

  

  

  

  











  

  



 







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 ウオームアップレース終了後、数日間現地に残り、プロトのテストを行う、
 プレではプロトは使用せず従来マシンで参戦、まだ手の内は見せたくない。

 ライバルの、Losiはニューマシンを投入してきた。 従来のマシンとは全く
 新しい配置を採用してきた。前よりにモーターを配置する事により、重量配分
 を大きく変化させている。 着目点は私と同じかも...?


 本戦は勿論コースレイアウトは全面変更されるが路面の状態は殆ど変らない
 またアメリカのコースはジャンプが多く、ジャンプの安定性等が武器になると
 考えた。

 今回のプロトのコンセプトは、まずは重量バランス、従来のマシンはバッテリーは
 振り分けタイプを使用していた為に、左右に3セルずつとしていたが、これでは
 バッテリーのバランスは取れても、モーターの重量が考慮されていない。

 モーターの重量はかなり重く、バッテリーの3セル分に相当する。その為に単純
 計算だが、モーターもセンターには積めず左にオフセットをされている為に、
 左右の重量バランスが取り難い。メカ類で調整しても難しい。 その為に
 バッテリーを4−2にする事により、バランスが取りやすくなる。

 しかしこの方法は殆ど支持されず、皆から顰蹙を買った。 しかし私は強行に
 押し通した。 ジャンプの多いコースでは、空中のバランスは非常に重要と
 考えた。

 そしてもう一つは足回りで、サスアームの長さを最大にすることで、ギャップの
 走破性を良くすることだ。 今回は足回りは先に成型で製作するために、早く
 から色々と試作、テストを繰り返してきた。 結果やはりアームは長いほうが
 ギャップには良い事を確認し、最大限長くする様に考えた。 その結果従来の
 ホイールでは、あまり長く出来ない為に、専用のホイールも製作した。

 これで、アームは長くする事が出来、ユニバーサルも長くなった為に角度変化も
 少なくなり駆動のロスも少なくなった。

 今回の世界選手権では、足回りは新設計の成型品で、シャーシやバルク
 ヘッド等はジュラコンのNC加工品とする事とした。 レース後に改めて成型
 として、プロダクションモデルとする事とした。

 今回は約30名近いドライバーをサポートする為に、量産に取り掛かから
 なければならず、プレ後の一回の渡米が最終テストとなった。 約一ヶ月の
 期間でレース用マシンを及びパーツを揃え、ドライバーに配布。

 我々は約10日前から現地入りする事とした。



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  1997 オフロード世界選手権     8月9日〜16日

 8月始め世界選手権の為、アメリカへ向った。 我々は準備の為、他の
 メンバーより一足早く現地入りする事とした。

 今回は、サポーターとしてママが同行する事となった。 レースで一番大事な
 事は健康である。 特に食事が非常に重要で、通常はレトルト日本食等を
 事前に送り、ホテルで簡単に調理して凌いできた。 今回は滞在も長く、
 大変重要なレースの為、ママの同行を頼んだ。 ママのサポートは、91年の
 オーストラリアにつぎ2回目となる、前回は毎日日本と同じ様な食事を現地で
 取る事が出来、成績も2WD、4WD共TQ、優勝という最高の結果を得る事
 が出来た。

 幸い今回はホテルの隣が大きなスーパーの為に、食材の調達が簡単だ。

 そして、今回はもう一人マネージャーとして、昨年より私がトレードした、ミユキ
 女史がいる。 彼女は昨年私が商用でアメリカに行った時、通訳としてきて
 くれた人で、日本人だがアメリカへ留学し、そのまま現地に滞在をしている。

 そしてその仕事ぶりや性格に私は一目ぼれして、レースマネージャーをお願い
 する事とした。 昨年のオンロード世界選手権でも、手腕を発揮し正美を
 チャンピオンに導いてくれた。

 ママ、ミユキのサポートコンビは世界最高と思っている。 ミユキ女史はあの
 ゴジラと呼ばれ、皆に一目を置かれている、T社の社長でさえ、彼女には反発
 出来ない所もあった。

 ママは期間中一度もコースに来る事は無く、ただひたすら私達の食事や洗濯
 等の家事に明け暮れた。 いつもの事だがレースは見るのは怖いと言い、レース
 は見ない事が多い。 そして最後の4WDの決勝で、2ラウンドで優勝が
 決まった後の、第3ラウンドのみ初めてレースを観戦した。


 
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