廣坂 物語
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
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Vol−19
1987年 オフロード 世界選手権 後
長い長い挑戦が終わった。終わってみれば一瞬の出来事の様だった。まさに
夢を見ている様だ。 一番にママの電話を掛けたが、勿論ビックりしていたが
やはり実感は湧かないようだった。それより電話代が高く付くので、早く切る
様に促された。
バンケットで表彰が始まり、本当に優勝したのだ。という実感が湧いてきた。
しかし、大きな動揺で何が何だか良く分からず、状況が把握出来ずに、頭の
中が混乱していた。 夜になり冷静になってくると現実が少しずつ現れて来た。
さあ、帰ってどうしよう? 義兄には内緒で黙って仕事を抜け出して来た。
ママをはじめ、スタッフの皆が上手くカバーをしてくれた為に、まだバレてはいない
様だったが、このまま騙し通せるとは思わない。 帰って本当の事を言って謝る
事にしようと決心した。 帰国してまた約1週間後にはまた1/12の全日本
選手権がある。もう黙っている訳にはいかないだろう。
帰国して成田空港へ到着。そして到着ロビーへ出た途端、ビックリ!
何と、木村理事長をはじめ多くの記者やカメラマンの人達が、世界選手権
優勝おめでとう! という幕を持って出迎えてくれたのだった。
あれっ、正美君は? 正美はHPIのメンバーと一緒にアメリカ経由に帰国した
為に私達とは別行動だったのだ。 とんだハプニングだった。(笑)
そして帰京一番に義兄の所へ、ママと一緒に謝りに行った。義兄は怒る事無く
最初から言えば良かったのに...と言ってくれた。しかしもし最初に話をして
いたら、たぶん行かせて貰えなかっただろう。これは結果がもたらした”結果”だと
思った。
そして、次の全日本選手権への参加も認めて貰う事も出来た。
フッシュへの掲載
京都市民のグラフでも紹介。
広告にも登場。
KOの広告も...
優勝記念イベントも開催。
正月はボーリング場にてイベント開催。
世界選手権のプログラム 全40ページ 1ポンドで販売されていた。
地元京都新聞にも大きく取り上げられた。
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