廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

 ***********************************************

  Vol−19

  1987年 オフロード 世界選手権 後

 長い長い挑戦が終わった。終わってみれば一瞬の出来事の様だった。まさに
 夢を見ている様だ。 一番にママの電話を掛けたが、勿論ビックりしていたが
 やはり実感は湧かないようだった。それより電話代が高く付くので、早く切る
 様に促された。
 
 バンケットで表彰が始まり、本当に優勝したのだ。という実感が湧いてきた。
 しかし、大きな動揺で何が何だか良く分からず、状況が把握出来ずに、頭の
 中が混乱していた。 夜になり冷静になってくると現実が少しずつ現れて来た。

 さあ、帰ってどうしよう? 義兄には内緒で黙って仕事を抜け出して来た。
 ママをはじめ、スタッフの皆が上手くカバーをしてくれた為に、まだバレてはいない
 様だったが、このまま騙し通せるとは思わない。 帰って本当の事を言って謝る
 事にしようと決心した。 帰国してまた約1週間後にはまた1/12の全日本
 選手権がある。もう黙っている訳にはいかないだろう。

 帰国して成田空港へ到着。そして到着ロビーへ出た途端、ビックリ!
 何と、木村理事長をはじめ多くの記者やカメラマンの人達が、世界選手権
 優勝おめでとう! という幕を持って出迎えてくれたのだった。

 あれっ、正美君は? 正美はHPIのメンバーと一緒にアメリカ経由に帰国した
 為に私達とは別行動だったのだ。 とんだハプニングだった。(笑)

 そして帰京一番に義兄の所へ、ママと一緒に謝りに行った。義兄は怒る事無く
 最初から言えば良かったのに...と言ってくれた。しかしもし最初に話をして
 いたら、たぶん行かせて貰えなかっただろう。これは結果がもたらした”結果”だと
 思った。
 そして、次の全日本選手権への参加も認めて貰う事も出来た。




   










 

  









  










 フッシュへの掲載


 京都市民のグラフでも紹介。


 広告にも登場。


 KOの広告も...


 優勝記念イベントも開催。


 正月はボーリング場にてイベント開催。




 世界選手権のプログラム 全40ページ 1ポンドで販売されていた。























 地元京都新聞にも大きく取り上げられた。


  







  Vol−20 へ...