廣坂 物語
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
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Vol−4
長い船旅
船の中では、ほぼ毎日新聞が印刷され配布される。
世界のニュースや、船内のイベント等が記されている。
長崎を出航して香港に向かう。まだまだ不慣れでなかなか勝手が
よく分からない。まずは船内をよく観察をするが、客室の階は
どこも同じ様ですぐに迷子になってしまう。早朝から色々な場所で
様々なイベント?が行われている。乗客が勝手に夫々にサークル
を作って、色々な教室等を行っている。絵画教室、ダンス教室
また、英語教室等もある。勿論すべて無料で自由参加である。
私は丁度良い機会なので英語教室に通う事とした。先生は
香港人の牧師さんである。オーストラリアまでの約一週間が開催
される様だ。生徒は香港までは、日本人が5名いたが皆香港で
下船の為それからは私一人となった。 いつもキリスト教のお祈り
から始まる。朝6時から朝食までの約2時間色々と教わる。
船内では様々な個人の催しの他に船の主催のイベントは毎日
色々と行われている。映画は毎日いつでも見られ、図書館もある
夕食後は毎日、年配向けのダンスパーティが0時まで、そして
若者向けのディスコが午前4時まで行われている。
いろいろと参加していると寝る暇が無い。とにかく退屈はしない。
甲板に出ても海しか見えない。また毎日の航路や進んだ距離が
地図に掲示され、一日の航続距離を当てるクイズも毎日行われ
ている。
また、他の有名客船とすれ違う時は前もって新聞等で知らさ
れる。当日の該当時間には、みんなデッキに出て船を見る。
きっちり時間通りに船が現れる。そして両船ともスピードを落とし
お互いの表情が見える位まで近づいてすれ違う。大海の真ん中
で知らない人達と手を振り合っているのが、何故かとても懐かしい
感じがしたのを覚えている。
香港では2日間の停泊で、やはりツアーのバスで観光をしたり、
あとは、徒歩で町ちを歩いたりした。
香港の港、タイガーバームガーデン
香港を16日に出発、次のオーストラリア着は、24日で8日間
の長い船旅となる。
この頃には二人のスチュワートとも慣れて、親しくなってくる。
食事の好みも凡そ覚えてくれて、私が特に注文をしなくても、
勝手に決めて出してくれる。特に好物のカニ等の時は、3人前位
も確保してくれる。
食事は決められた時間に、食堂で食べなければいけないのだが、
夜遅くまで遊んでいて朝が起きられない時は、これはいけない事
だが、といいながら部屋まで運んでくれる。見つかったらどうする?
大丈夫、ちょっと体の具合が悪いと言えば良い。
昼食メニュー この中から選んで注文する。全部食べても良い。
香港を出て2日が経過、するとなんとなく周りの雰囲気が変って
来た、船内にいると当然常にエアコンディションで気温が一定の
為、気づか無かったが、デッキにでてみるととても暑い。もう真夏の
気温となっている。そしてプールが開放された。あまり大きくは無い
が、ツーリストとファーストに一つずつ2つのプールがある。
多くの人がプールの周りやデッキで日光浴をしている。 私も早速
水着に着替えプールへ...プールの水は海水である。船が揺
れると、波がある様で大変面白い。大きく揺れる時は泳いで
いると、波でプールの外へ打ち上げられる。
プールは24時間いつでも利用出来る。夜は水の中に照明が
点きとても幻想的だ。
プール等で遊んでいると、同じくらいの年代の若者達と友達に
なる。オーストラリア人、ニュージーランド、カナダ、イギリス等
様々な国の人達と一緒に遊ぶ。殆どの若者は、観光では無く
働きに行ったり、仕事で香港へ行き、その帰りの様だ、飛行機
より値段が安い為に船を利用するとの事。
香港を出て3日目 船が赤道を通過する。この時は赤道祭り
が行われるとの事。なんの事か良く分からないが、この日は皆
デッキに出て赤道の通過を見守る。 ある人が海を見ていると、
赤い線が見えるよ! 等と冗談を言っている。
そして昼食は、デッキでビッフェ。 そして昼過ぎに赤道通過との
アナウンス。皆が一斉に拍手、そしてお祭り騒ぎでダンス等が
始まる。しばらくすると数人の悪友達が私方へ...何事か?
と思う間もなく、みんなに抱えられて、プールへドボン!!
そして次々に男女関係無くプールに掘り込まれる。皆水着等
着ていない。パーティの為、大変おしゃれをしている人も多い
その様な人に限ってターゲットとなる。これは赤道祭りの慣習だ
そうだ。
そして、二日後にはオーストラリアに到着。ここでまた2日間の
停泊。
シドニー港に停泊中のキャンベラ号
オーストラリア、シドニーでは、レンタカーを借りて色々と回って
みた。生まれて初めての海外でのドライブとなった。ここは右
ハンドルで日本と同じの為、違和感は無し。
二日間の停泊で、次はニュージーランド(オークランド)に停泊
三日の航海となる。
ここから、チャーリーというイギリスのお爺さん(70歳)とニュー
ジーランドの二人の青年と同室になる。これで始めて4人と
なった。私のベッドは2階に移った。
シドニーからニュージランドのオークランドまでは、観光ではなく
移動にこの船を利用する人が多く、一気に人が多くなった。
特に若者が多く、直ぐに友達になった。そんな中同室のチャーリー
は、年金暮らしでイギリス人だがオーストラリアに旅行に来て帰国
する為に、この船に乗って来た。これから終着のイギリスまで一緒
に生活をする事となる。
他の同室者は皆短距離ですぐに入れ替わってしまう。
この船には、二組の世界一周でイギリスから世界を回りイギリス
まで戻る155日間の船旅をしている老夫婦がいるとの事。
しかし二組ともファーストクラスの為に会う事は無い。
そして二番目に長く乗船するのが私であった。56日間の船旅だ。
船旅ももう二週間にもなると、すっかりと慣れてクルー達とも友達に
なり我が者顔で生活する。通常は入る事は出来ないが船員の
部屋にも自由に出入りする。下級船員は皆大部屋でハンモック
で寝ている。インド人が多いので、カレー等を食べる。私も時々
御馳走になったり。持っていったインスタントラーメンを調理して
食べる。
彼らは港に停泊中も船外には出ることが出来ない為に、私が
皆の注文を取り、色々と買い物をしてくる。特に免税で買える
為に、お酒やタバコを買い占めてくる。 皆に大変喜ばれる。
見返りにくだものや、お菓子等色々とくれる。
シドニーを出た頃から、一人の可愛い7歳の男の子が、プールに
遊びに来ていた。そして私にピンポンで遊んでくれという。私も一人
で暇だから一緒に遊んでやったが、言葉が上手く通じない。
どうやらカナダ人の様だ。別に彼の英語が悪い訳では無く、私の
英語が通じ無いだけ...
それから、毎朝7時になると部屋に私を起こしに来る。毎晩遅く
(朝4時まで)ディスコで皆と遊んで眠いのに、無理やり起こして
遊ぼう、遊ぼう! 少々参った。 他に友達はいないのか?
そういえば、小さな子供等は殆ど見かけない。でも親は?
お父さん、お母さんは? と聞くと居るよ。と応えるだけ。夕方4時
になると、きっちりとどこかへ消えてしまう。何処に住んでいるのか?
まあどうでもいいや、こっちも色々と友達が出来て忙しい。
3日後、キャビンスチュワードがなにやらメッセージを持って来た。
今日の夜7時に、どこかへ来いという内容らしい。内容が良く
分からないないので、スチュワードに尋ねると、ファーストクラスから
の招待だと言う事。あの子の両親からの招待状だった。あの子は
ファーストにいたのだ。ちょっとびっくり。
今日は何かパーティがあるそうな。(いつもパーティやってるが)
これは願っても無いチャンス、船ではファーストへ行く機会等
殆ど無い。 夕方7時前タキシードを着て正装でファーストへ
向かった。乗船時の注意として、イギリスの船だからパーティ用に
タキシードを用意したほうが良いと書かれてあったので、安物だが
一応カッコを付けて用意したが、殆ど出番は無かったがファースト
なら良いだろう。
ちょっと、不安を持ちながらスチュワードに付き添われて、ファースト
の入り口へ行く、勿論係員がいる。名前を告げると直ぐに案内人
が現れ、レストランへ案内された、そこにはいつものあの子が正装
して両親と一緒にいた。私は大変緊張して、始めまして...。
両親が丁寧に私にお礼を言った。 いつも子供を遊んでくれて、
ありがとうとの事。
特にファーストクラスは、年配の人が多く子供は殆ど居ないとの
事。なるほど周りを見渡すと年配の人ばかり、しかし皆凄い格好
をしている。男性はタキシード、女性はイブニングドレス、ほんとに
映画に出てくる様な格好だ。私の様な若者は殆ど居ない。
そして、席につくとスチュワードがメニューを持って来た。我々の
メニューとは少し違う、我々のメニューは見開き2ページだが、
こちらは、本の様だ。 まずはワインリスト、私はお酒は飲めない。
ので、いきなり料理を注文する。色々と種類も多く何がなんだか
分からないので適当に注文した。
そして、生演奏が入りプロの歌手が歌を歌う。残念ながら上手く
会話は出来ないが、両親は大変気を使ってくれて、色々と話を
してくれる。そうこうしている内に制服を来た紳士が挨拶に現れた
どこかで見た事がある人? と思ったら紹介されたら船長だった。
乗船した時に、皆の前で挨拶に来ていた時に見かけたので。
勿論、その時には話し等出来なかったが...
この子のお父さんと大変親しい友人だそうだ。そして少しの間
同席して話をしてくれた。でもあまり良く理解出来なかった。
しかし、船長権限でいつでも自由にファーストに出入りが出来る
様に船員に指示をしてくれた。
シドニーを出航して3日、ニュージーランドのオークランド港に到着
ここでは朝に到着して夜の23:59に出航する。停泊はしない。
ここでも簡単なバスツアーで少し観光をする。
ここでは短い間だけれど友達となった青年達と分かれを告げる。
たぶん、もう一生会う事は無いだろう。
次の寄航はトンガ島となる、聞いた事の無い国だ。フィジー島の
近くの小さな島だそうだ。 ここでは港が小さい為に船は沖止め
となる。そして小さなランチで島との行き来をする。停泊中ずっと
ひっきりなしに往復している。
ここは空港も無く、便は船しかない南海の孤島のようだ。
この様な大きな船が寄航する時は、島をあげてお祭りとなる様だ。
港の道路には、民芸品等の露天商が出展する。
クルーが私に秘策を教えてくれてた。ここで買い物するときは、
現金より品物の方が良いとの事。 品物? そう石鹸やタオルが
大変喜ばれる。 船のものを持っていけば良い、と色々なものを
渡してくれた。私は半信半疑でタオルや石鹸等を持って上陸
すると。多くの子供達が手作りの民芸品を持ってやってきた。
多くの皆は値段交渉をしているが子供相手では良く分からない。
子供達は**$、と繰り返すだけ。私は持っていったタオルを
差し出すと、ニッコリ笑って幾つかの土産品をくれた。特に値段等
は無い、持っていったものでかなりの土産物を集める事が出来た。
島には特に何も無く歩いて少しの観光をしたが、昔何かの縁で
日本とは関係があったそうな。でも良く分からない。宮さん宮さん
と言う聞いた事のある歌を歌ってくれた。
小さな町を歩いていると、郵便局があったので、ここで絵葉書を
買い自宅や友人に数枚送った。
南海の孤島? トンガアイランド 大変綺麗な島。
そして、トンガ(ヌクアルファ)を出航して、次はハワイ(ホノルル)
へ向かう。ホノルルでも朝到着夜出発というパターン。このあたり
は観光船というより、定期便の感覚か? ホノルルではやはり
ビーチで泳ごうか? と思ったけれど時間もあまり無く、また良く
分からないので、見学だけで終わった。土産物店等が並ぶ所
では久しぶりに日本語が話せで嬉しかった。
ハワイのプライベートビーチ。 次回はここで泳ごう!
ハワイを出ると次は一気に北上し、カナダのバンクバーへ向かう。
約6日間の航海。ハワイを出航して二日目大変面白い事が
あった。新聞によると4月7日は二日間あります、との事。
良く意味が分からない。またクルーに尋ねると、船は日付変更線
を超える。東に向かっているので丸一日逆戻りする事となる。
その為に、船では4月7日の一日目、そして翌日は4月7日
の二日目と言う事になる。飛行機なら到着した時に時間調整を
すればよいのだが、船は常に現地時間で生活をする為に東西
に進む時は、毎日昼の12時、夜12時に時間調整をする。そして
日付変更線を超える時は、同じ日が二日間続く事になります。
4月7日に誕生日を迎えた人は2度祝って貰える事となる。
相変わらず、毎朝には小さなお友達”ジョン”が誘いに来る。
ピンポンをしたり、デッキで輪投げの様な事で遊ぶ。
ファーストクラスも殆ど探検しつくした。やはりすべての設備が
ツーリストとは違う。そして、毎夕食はファーストクラスで御馳走と
言う事になりました。
ハワイを出航した次の夜、毎回だが出航の翌日の夜には、特別
な催しが行われる。日本を出た時は、オリエンタルナイト、今回は
ハワイアンナイトとして、ハワイから乗り込んで来たプロのエンタ
テイナーが主催をする。毎回色々は芸人等が次の寄航地まで
乗船して色々な催しをしてくれる。
ハワイアンナイトでは、色々と歌や踊りを楽しませてくれ、その後に
ゲームとして、リンボー大会が始まった。 両親に勧められて私も
参加。周りはおじいちゃん、おばあちゃんばかり...当然の様に
私は優勝して賞品にシャンパンをゲット。私は飲まないのでクルー
進呈、ん万円もするそうな。
また、船内ではカジノもあり、お金を掛けたギャンブルも楽しめる。
ある時競馬ナイトがあり男性が馬なりになりが女性をのせて会場
を走る。これに皆お金を賭けて競争する。掛け金は全額払い戻
の為、かなりの率が良い。私はこれで3万円位勝ち皆に飲み物
をおごらされた。
ハワイを出て3日位すると、また新しいメンバーが乗船して来た
為に友達等を探しにプールでも行こうかと思い、水着でプールに
向かった中からプールを見ると誰もいない。 不思議に思って
外へ出てみると寒さにビックリ、そして雪がちらついてきた。
へえ〜? 一昨日まで暑かったのに...。これからまたしばらくは
泳げない。 日に日に寒くなって行く、6日間で真夏から真冬に
なってしまう。 いつも船内に居ると気温が分からないので時々
そとへ出て確かめないといけない。次のバンクバーでは、冬支度を
しなければならない。多くの荷物は部屋が狭い為に自分の部屋に
置けない為に、荷物専用のロッカールームがある。ここで衣替えを
する事となる。
船もどんどんと進み、もう明日はバンクーバー、ジョンファミリーとも
お別れとなる。最後の夜は船長等と共にお別れパーティを持った。
バンクーバーへは早朝に到着そして夜に出航のパターンとなる。
入国審査等は前日より係員が乗り込み済ませてしまう。いつの間
に船に乗ってくるのだろう?
朝に、お別れの挨拶をしようと思ったが、下船の人達で混雑し
彼らを見つける事は出来なかった。そしてその後も2度と会う事は
なかった。
バンクーバーでもバスでミニツアーに参加し少しの観光。
ここでは、ひとつ面白い事に気が付いた。
公園をツアーの人達と並んで歩いている。私は後ろのほうから
皆の行列の後を付いて行く。そうすると、前の行列の人達が
蛇の様に蛇行して歩いている。真っ直ぐに歩けないのだ。
これは船では常に規則正しく?いつも前後左右に揺れている。
だから、慣れないと甲板等は真っ直ぐに歩けない。しかし2、3日
もすると、慣れて来て真っ直ぐに歩ける様になる。
しかし、今度は陸に上がると地面は揺れていない為に蛇行して
歩く事になってしまうのだろう。他の団体に人達とは全く違い、
見ていると大変に面白い。他の人達が見たら何と思うのだろう?
わざとその様に歩いていると思うだろう。
カナダでは雪、3日程前までは泳いでいたのに...気候の変化
にびっくり。
4月10日 カナダ、バンクーバーを出発、今度はアメリカ西海岸
を南下する事となる。次の寄港地はサンフランシスコ、ロサンゼルス
アカプルコ、そしてパナマに寄航して、パナマ運河を通り大西洋へ
抜ける事となる。これからしばらくの間は長い航海が無い、2、3日
進んでは停泊となる。
もう船旅もほぼ一ヶ月で行程約半分となった、全く退屈する事は
無いが、そろそろとイギリスに到着してからの計画を立てなければ
ならない。全く何も考えていない。 さて、どうするのか?
バンクーバーでは、船で初めて日本からの手紙を受け取った。
新聞や、友人からの励ましの手紙等多くのものが届いた。大変
懐かしく涙が出てきた。正美のはじめの頃はパパは? と言って
いた様だが、もう完全に忘れられてしまった様だ。少し悲しい。
4月12日〜13日
サンフランシスコの路面電車、確か無料だった様な?
ロサンゼルスでは、世界最大のクイーンメリー号を見学。
すでに引退して展示されている。
Vol−5 へ...