廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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 Vol−26

  1989年に向って。

 入社以来約半年、殆ど息つく暇も無く、レース、テストそして地方遠征等を
 行い全日本選手権が終了し、やっと少し落ち着く事が出来る様になった。
 まだまだマシン等の設計等が出来る様な状態ではなかった為に、仕事として
 は、リーディ氏等の指導にもよりバッテリーのマッチドを手がけ始めた。

 レースにとってやはりバッテリーは、最大の武器でいくら良いモーターであっても、
 バッテリーの性能が良くなければ、本来の性能を発揮する事が出来ない。
 
 また、ビッグレースではリーディマッチドを使用させてもらったが、普段のレース等
 では自分達のバッテリーを使用しなくてはならない。またバッテリーはマッチドに
 よる性能の差が大変大きい事を体感していた。

 その為に今後の事も考慮するとバッテリーのマッチドの研究は不可欠だと考え
 マッチドを手がける事とした。またバッテリーのマッチドをしようとすると、大変
 多くのバッテリーを用意しなければならない為に、マッチドバッテリーとしての販売
 する事で多くのバッテリーをチェックする事が出来ると考えた。
 
 幸いな事に私達はレースでサポートされた。リーディマッチドがある為に、
 これと比較して、自分達のマッチドのレベルを知ることが出来た。

 開発の先輩には大変電気に詳しいスタッフがいた。彼とタッグを組んで独自の
 測定機器の開発を進めていった。後にはリーディ氏からも、賞賛して貰える
 システムが出来た。
 
 当初のバッテリーチェック機器、及び作業場。





 オーストラリア 選手権

 全日本選手権が終了一ヶ月後、9月28日から10月4日まで、オーストラリア
 選手権の為に、シドニーへ向った。

 来年のオフロード全日本選手権は、オーストラリアで開催との事、そして今回
 選手権が開催されるコースで世界選手権も行われるとの事で、このレースに
 状況調査も兼ねて参加する事とした。

 来年は2WDは勿論アソシのRC−10を使用する事が決定しているが、4WD
 はアソシの有力メンバーもヨコモのマシンを使用すると言う事が約束されていた。

 そして、アソシでは来年の世界選手権に向けて、ニューマシンを製作中との事、
 勿論これは当時は極秘であった。新型が出るとなると現在の製品が売れなく
 なる為だ。

 ヨコモのマシンに対しても、クリフや、ジェイからも色々な変更や改良の要望等も
 多く出ていた。
 
 私自身も色々な欠点や改良したい部分があった為に、今後の変更点も
 含めてコースに合わせたマシンに改良する狙いもあった。

 またオーストラリアは南半球の為に季節が日本とは逆になる。通常選手権は
 夏に行われるが、オーストラリアでは冬となる。世界選手権は9月だが、これは
 向こうでは春となる。この頃の気候はどの位か?を知ることは大変重要な事と
 なる。丁度10月だと凡その見当が付くのでは無いか?と言う事で参加した。

 そして、まずは周辺の環境や、レストランやショップ等を探索、ここで後日我々
 にとって一番の力になりそうな店を見つけた。これは日本の食材を扱う
 スーパーだった。殆どの日本の食材が揃っていた。海外レースで我々が一番
 重視していたのは食事だった。

 私も正美もご飯を食べなければパワーが出ない。現地に行けばまず一番に
 日本レストランがあるか?を探索する。そして日本食が無ければ、中華料理店
 を探す。日本レストランは無い所も多いが、中華レストランは殆ど世界中何処
 でも見つける事が出来る。

 そして多くのインスタントの食材やご飯等も持ち込み、ホテルで簡単な調理を
 する事も多い。

 レースは地元の選手達ばかりで海外からの選手は、正美のみとなった。結果
 的には正美は2WD、4WD共に、TQ、優勝となったが、地元ではシュマッカー
 が大変速く、またコースに良くマッチしている事が分かった。来年はワークスや、
 有力選手がCATを使用すれば、我々には脅威となると感じた。
 そして、コースに適したタイヤを製作する事が一番重要であると思った。

 路面はかなり硬くて特殊な路面だった。私達の周辺には殆ど無さそうな路面
 だった。その為に、土をサンプルとして少し持ち帰り調べる事とした。
 しかし同じ様な路面は私達の近辺には見つける事は出来なかった。

 スーパーマシンの取材。 
 当時はスーパーマシン誌(石神氏)が大変よく取材をしてくれた。



  





  

  




   
   
   
   
   


 テストコースの確保

 今年の大きなレースは終了し、来年に向っての取り組みが始まった。来年は
 オフロードの為に現在のYZ−870を改良することを考えた。ヨコモにはテスト
 コースが無い為に、近くのコースや会社裏の荒川河川敷がテストコースだった。

 正美は平日にはこの河川敷でほぼ毎朝テスト、練習をしていた。夜に私が
 準備をしておき、夜明けと共に正美は一人で河原へ行き、パイロン等で簡単
 なコースを作って走行させていた。そして8時半には何事も無かった様に出社
 していた。 雨の日は4号線の橋の下がテストコースとなった。

 正美はこの練習等の事は、誰にも言わない様にして欲しいと私に言った。自分
 も皆と同じ一社員なので、特別な扱いはされたくないと言う事だった。

 そして兼ねてから私は会社へ、何とか小さな場所でも良いから、自由にテストが
 出来る場所を確保して欲しいと頼んでいた。
 そして夏過ぎには谷田部に土地を確保したとの報告を受けた。これが後に
 谷田部アリーナとなった。(谷田部アリーナは私が命名した。)

 最初にここを見た時は、ただの雑木林だった、どこから何処までが敷地かも
 分からない状態だった。そしてとりあえずは、敷地内の樹木や雑草等を取り
 除く作業のみをお願いした。後は自分達でコースにする。そしてあえて入り口は
 狭くして、雑草等は残し外からは中が見えない様にして、我々の秘密テスト
 コースが完成した。

 そして、やはり早朝に正美とコースへ通いコース作りをした。毎回1時間程で
 コースを作り、そのあとテストをして、すぐに会社へ帰り朝礼に出るという毎日が
 続いた。この事は社員でも知る者は少なかった。

 コースには、小さな物置小屋を設置して、つるはしやスコップ等の工事機材を
 保管し、そしてその屋根の上を操縦台とした。

 3ヶ月もすると、大変立派なコースが出来あがった。ジャンプ台等も色々な形
 や大きさのものを作りテストをした。

 コツコツと世界選手権に向ってのマシンの改造、テストを少しずつ進めていった。
 そしてアソシの情報によると、ニューマシンは極秘で進めているという。これに
 真似て、じゃあ私達も極秘で進めようと、全日本選手権までは公開しない事と
 決めた。 クリフは、ポイントはロングサスアームだと私に教えてくれた。

 よし、我々もロングサスをテストしよう! シュマッカーもサスアームは短い、
 その為に、ギャップにはあまり強くない。 ロングサスは武器になるかも知れ
 無い。そして一番重要な事は軽量化だった。CATは非常に軽い。規定重量
 にする為にウエイトを積む程だ。YZは非常に重い、せめて規定重量までには
 持って行きたい。...等と考えた。



 スーパーマシン誌の取材。
 場所は公開しない約束にて、秘密コースにて取材を行った。




 



 ”秘密コース”での取材。 まずはコース整備から。
  

 当初は後ろの小屋の屋根が操縦台だった。
  





  


    
    




    



  

  

    
    




 1988年のイベントはすべて終了した。今年の主なレースではすべてがTQで
 優勝する事が出来た。 そして来年は正念場とも言える、オフロードの世界
 選手権がオーストラリアにて行われる。このレースで優勝する事が出来れば、
 本当の意味で世界一と認められるだろう。

 また、2WDでチャンピオンを獲れば、EP3種目すべてのチャンピオンとなり、
 前人未到の偉業となる。 ここまで来れば我々はこれに挑戦したい。


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