廣坂 物語
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
***********************************************
Vol−48
1992年 8月1日〜2日 1/12 全日本選手権
世界選手権が終わり、すぐに次は全日本選手権。今回は同じ1/12の為に
そのままの惰性でいける為に比較的準備も楽。 今回は世界選手権の為に
準備をしていた、サンヨーのN−SCRCが世界選手権では使用出来なかった
が全日本選手権では使用可能な為に有利になると思われた。
このバッテリーについては、約一年前よりサンヨーから依頼があり、極秘でテスト
を続けて来た。サンヨーはライバルでもあるパナソニックに、追い上げられて、
新しいバッテリーの開発を迫られていた。 そして幾つかの試作品を作って、某
メーカーにテストを依頼したそうだが、何も結果が得られなかった様で、それで
回りまわって私達の所は来たそうな。
谷田部アリーナーでの最初のテストには、サンヨーのお偉方、そして技術者等が
大挙して訪れ、テストをした。 まずは正美のドライビングの正確さや判断能力
を披露すると、皆はビックリした様子だった。 ラップタイムもオフロードでも、
各ラップ0.2秒以内での走行、3種類のバッテリーを、めくらテストでぴたりと
当てる等...
これで、我々の判別能力を認められ、正式にテストスタッフとして認められ、その
後のニューバッテリーの開発テストに携わった。 サンヨーの製造や研究所のある
淡路島の会社にも招待された。
そして色々なタイプの新しいバッテリーが試作され、どれを製品化するのか?
を我々に託された。 私はパナソニックは、後半に電圧が徐々に下がって来る
性格で、パワーは無くなるがいつまでもダラダラと走行出来る為に、止まって
しまう事が無く、多くのユーザーの支持を得ていたが、サンヨーも同じ様な性質の
ものもあったが、あえて後半でも電圧が下がらず、最後に一気にダウンをする
全く逆の性質のものが良いと提言した。
少し使い方は難しいかもしれないが、上手くあわせれば最後までラップを
落とさず、最終的な容量は大きくなるというのが、私の考えだった。
それで、出来上がったのが、N−SCRCだった。 しかし、世界選手権では、
認可が下りずに使用する事が出来なかったが、幸運にもパナソニックのトップ
クラスのバッテリーを使用する事が出来、サンヨーと比較する事が出来た。
また、各社よりマッチドバッテリーが販売されていたが、我々は他のメーカーが
どこも採用していない、6セルを組み込んだマッチドバッテリーを販売していた。
単セルでデーターを取る事は皆同じだが、他のメーカーは単セルにデータを記入
したシールを貼って販売していた。
私は単セルのデータだけでは、マッチドが出来ないと、同じデータを6セル組み
そして6セルでの充放電で再度単セルでのチェックをして、それらのデータ表を
付けて販売していた。この方法はサンヨーでも大いに評価された。
しかし、多くのユーザーは、単セルだけでの、マッチドバッテリーの水増しとも
思えるデーターを信じ、使用する事も多かった。
指数等、細かい繊細なデータにうるさく拘っている割りには、バッテリーのデータ
を上手く使えなかった様だ。
****************************************************
****************************************************
***************************************************
Vol−49 へ...