廣坂 物語
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
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Vol−57
1994年 オンロード 世界選手権
いよいよ世界選手権の時が来た。今年からは、オンロード部門は1/12と
1/10の2種目が開催されるが、今年は1/12が フランス パリ郊外、
そして一週間後に、1/10がドイツの旧東ドイツのサンネバーグという事で、
連続して開催される為に、間に日本へ帰る事は出来ず、フランスから直接
ドイツへ移動する事となった。
その為に準備や機材の運搬も大変な事となった。 やはり今回のメインは、
1/10の為に、1/12は練習やテストも十分では無く、多くの不安を抱えて
いたが、全力を尽くそうと、気合を入れてフランスへと向った。
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今回のレースでは、事前のテストや練習等は殆ど1/10に集中して1/12
は何もしていなかった為に、当然苦戦は予測してた。しかしいざフタを開けて
みて、あまりにも大きな差に愕然とした。 元々1/12はヨーロッパでは殆どの
レースはカーペットで行われている。
しかし、アメリカではアスファルトが大半で、カーペットのテストはあまり行われて
いない為に、モーターやESCのノウハウも少し劣っている様に思えた。
特に今回は、スパシェット選手のパワーソースは素晴らしく、レース開始早々に
みんなを諦めさせる程の差があった。
マシン、及びパワーソースのセッティングでも、遅れを取った我々には、殆ど勝機
は無かった。 いくらコーナーで差をつけもストレートで一瞬にして追い抜かれる
差は如何しようも無かった。私は丁度初めて全日本選手権でワークスに挑戦
した頃の様だと思った。
決勝2ラウンドで、早々にチャンピオンを決められてしまった。正美は1/10に
備えて、何とか一矢報いたいと闘志を燃やしていた。 そしてまともに戦っては
勝ち目が無い為に、スピードを上げて、スパシェット選手と対抗出来る様な、
速度にして欲しいとリーディー氏にお願いした。勿論、これでは最後まで走行
出来ない仕様となる。 正美は後は展開で何とかする。
そして、決勝最後の3ラウンド、予想通りの二人の熱いバトルが始まった。
インフィールドでは、正美は少し速い、そしてストレートではスパシェット選手、
抜きつ抜かれつの大バトル...そしてレース後半、二人が接触、スパシェットが
転倒してしまった。その時正美はその場で停止して、スパシェット選手の復帰
を待ち、再スタートをきった。場内は一瞬水を打った様に静かになり、二人が
復帰して再開されて、初めて状況が分かった、観衆は大きな声援に変った。
その後はスパシェット選手のミスもあり、正美は意地のトップゴールを果たした。
そしてウイニングラン、ゴール。その間全員の大きな拍手が鳴り止む事が
無かった。 あたかも正美が優勝した様な状況だった。
優勝したスパシェット選手は,、勿論の事だが、それにも劣らない程の賞賛を
浴びる事となった。
これまで、レース中の接触等では、顰蹙を買う事が多く、時にはトラブルにも
なる事も多かったが、この時の正美の行為は多くの選手や観客に好感を
持たれ、これ以後のレースでは、多くの選手が、この様な行為を取る事が多く
なった。
大きな苦戦をした、1/12世界選手権だったが、最後は皆笑ってレースを
終える事あが出来、私達は一週間後の1/10の世界選手権に新たな闘志
を燃やして、ドイツに向った。 1/12レースでは多くの日本人選手やサポート
が参加していたが、ドイツでは日本人選手は正美だけの為に、皆が健闘を
祈って見送ってくれたのが、大変嬉しかった。
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1994年 1/10 オンロード 世界選手権
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