廣坂 物語
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
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Vol−59
1994年 オンロード 世界選手権 後
開発段階より取材し、その後世界選手権に同行し製作されたビデオ。
もし勝てなかったらどうしよう? そうですね、次回乞う御期待!という事に
しよう(笑)、等と冗談で言っていたが、何とか良い結果で終える事が出来、
ほっとした。
そして早く発売へ漕ぎ着けよう! と連日の徹夜で作業された様で、大変
素晴らしい出来栄えのビデオが早々に完成した。
発売後予想を遥かに上回る、売れ行きで何度も再販された様子。
フィクションの様なストーリーだと、多くの人達より評価された。
ディレクターは勿論の事、カメラマンの技術は素晴らしく、小さくてスピードが
速いRCカーを撮影するのは非常に難しいと言われていたが、あの小さな
車体で猛スピードで走行するマシンを画面一杯に納めるというのは、至難の
業と言われている。
事前テスト中の撮影でも、走行中のマシンをアップで撮影して貰い、それを
スローで再生して、サスの動きやボディの傾斜等のデーターを取る事が出来、
マシンの改良に非常に役に立った。
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RCマガジンへ投稿して頂いたイラスト。 正美が大変喜んでいた。
雑誌の広告 売れ行きも上々。
ツーリングカー YR−4も当初の予想を遥かに上回る人気が出て、また多くの
メーカーがツーリングカーの発売を始めた。
私は、これは今後おそらくもっと人気が出て、ひとつのカテゴリーとして定着する
のではないか? と考えた。 そしてJMRCAの木村理事長へ全日本選手権
の開催を提案した。しかい他の理事やメーカーからは、まだ時期尚早という事
で、開催まではもう少し様子を見ようと言う事になった。
そこで私は、現在では各社バラバラの規格で車の製作をしている為に、今後
選手権等の開催にあたっては、ルールの統一が必要だが、早い段階でそれを
やらないと、遅くなると大変難しくなる事が予想された。
そこで私は既成事実を作る為に、ヨコモとしてツーリング選手権と称してイベント
を開催し、そのルールを世界の各国に発信した。アメリカでもリーディ氏を通じ
NORCAやROARにも、概ね私の考案したルールが取り入れられた。
そして、日本ではこれを浸透させる為に、ヨコモツリングカー選手権として全国
各地で大会を開く事とし、販売店やクラブ等に依頼して年頭より開催を
始めた。
この大会は単に開催を依頼するだけでは無く、運営はすべて我々のスタッが
現地へ赴き、まだ計測装置も一般に出回っていなかった為に、AMB計装置
一式持参して、運営すべてを行う方式を取った。
ほぼ毎月、年間約12箇所を目標として、北海道から九州まで、全国ツアーを
行った。 これにより、凡そのルールの規制化をする事が出来た。
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韓国の雑誌にも掲載された。
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挑戦ビデオの好評を得て、続いてRCビデオの本格的な、製作販売が
行われる様になり、第1弾は、ドライブテクニック、セッティング編となった。
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