廣坂 物語
History of the Hirosaka family and Masami.
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
***********************************************
Vol−76
1997年 オフロード世界選手権 3
![](img25/memo56/103.jpg)
![](img25/memo56/104.jpg)
![](img25/memo56/105.jpg)
![](img25/memo56/106.jpg)
![](img25/memo56/107.jpg)
![](img25/memo56/108.jpg)
![](img25/memo56/109.jpg)
![](img25/memo56/110.jpg)
![](img25/memo56/111.jpg)
***************************************************
![](img25/memo56/112.jpg)
![](img25/memo56/113.jpg)
![](img25/memo56/114.jpg)
![](img25/memo56/115.jpg)
![](img25/memo56/116.jpg)
![](img25/memo56/117.jpg)
![](img25/memo56/118.jpg)
![](img25/memo56/119.jpg)
MX−4 プロトの詳細の説明。 注: 翻訳では無い。
メインシャーシは、3mm厚のカーボン。
バッテリーは、4−2の振り分けをベースとし、前後に移動してバランスを
取る事が出来る。 スロットは6セル分ある為に、5−1や6−0も選択
する事が可能。
上側のプレートもスロットにする事でバッテリーをしっかりと保持してジャンプ
等でバッテリーが飛び出さない様に考えた。
![](img25/memo56/120.jpg)
駆動部 一番苦労した箇所。
センターベルトを出来るだけ中心に寄せ、またモーターも中へ寄せ、全体を
コンパクトにすることが目標。 フロントベルトをモーターのベアリングの外に
通す事で全体の幅を狭く。コンパクトに出来た。
バルクヘッドは成型では無い為に、ジュラコンのNC加工とした。
ベルトはフロントが3mmリアは4mmを採用。
![](img25/memo56/121.jpg)
モーターマウントとバルクヘッドをアッパーデッキで固定、ショックタワーのベース
にもなる。
![](img25/memo56/122.jpg)
Iアームは、チタン製。 ダンパーはアソシを使用。
フロントダンパーは、ショックタワーの後ろ側に取り付け。 これは転倒した
時にダンパーのビスが路面にささりショックタワーが折れるのを防ぐ。
また、ショックタワーは出来るだけ小さくして風の抵抗を少なくする。
![](img25/memo56/123.jpg)
ユニバーサルjは、MIPにお願いしてオリジナルを製作、この形式はMIPの
特許で角度が大きく取れ、ロスが少ない為にオフには大変有効だ。
従来に比べ大変長く、また軽量の為アルミでお願いしたが、始めての為に
強度に不安があるとの事で、かなりのテストを繰り返した。 そして金色に
お願いした。
![](img25/memo56/124.jpg)
アームの長さを確保する為に、ホイールのオフセットを出来る限り大きくした。
その為に、大径の薄型ハブを製作し、ホイールはビス止めとした。
レース用ハブはマグネシウムを使用。
ハブキャリアとステアリングブロックは成型が完了。かなりの強化タイプと
した。 ベアリングは6mmを使用。
![](img25/memo56/125.jpg)
![](img25/memo56/126.jpg)
センター部はかなり細身で足の長さが目立つ。 バネ下はかなり軽い。
![](img25/memo56/127.jpg)
ロングスパンのリアーサスアーム、リアーハブキャリアは成型品。 サスマウントは
アソシのB3用を流用。
![](img25/memo56/128.jpg)
リア Iアームの取り付け位置も6箇所選定。
![](img25/memo56/129.jpg)
ホイールは、ブレを少なくする為に大径ハブを使用、ホイールも軽量。
![](img25/memo56/130.jpg)
ボディもニューデザイン。 アンダーカバーでリアーのバルクヘッドカバーを
兼ねる。
![](img25/memo56/131.jpg)
スピードコントローラーは、M STAR ”M”は、MASAMIのM。
![](img25/memo56/132.jpg)
以上の様な仕様でレース用プロトタイプとしては、かなりの完成度が高い
マシンとなった。 勿論プロダクションモデルは成型を含めかなりのモディファイ
が必要となる。
今回のMX−4は、いわゆる消去法とも言える形態で、以前のマシンの
不満点を洗い出し、それに対処出来るニューパーツをテストを繰り返し
決定していった。 パーフェクトでは無いが、かなりのところまでは持って行く
事が出来たと自負している。 勝敗は様々な要因で左右される為に絶対
はあり得ないが、かなりの勝算はあった。
特に今回は現地で十分なテストが出来た為に、コースにマッチした仕様に
する事が出来た。 勿論世界選手権では。レイアウト等は直前に変更され
事前に誰も走行する事は出来ないが、路面は殆ど同じでジャンプやコース
レイアウトの特徴は、設計者が同じであれば、かなり似るもので、またコース
レイアウトは事前に発表される為に、そのものは体験出来なくても、イメージ
をして練習する事が出来る。
トップドライバーはそれ位の事はやってのける。
通常正美等は始めてのコースでも2、3周走行すれば、ほぼコースの状態を
把握出来るという。そして1パック程度走行すれば、殆どベスト位で走行
する。
世界選手権でのエピソード。
![](img25/memo56/133.jpg)
今回の主役はやはりママ。 ママは障害で足が悪い為に長い距離を歩くこと
が出来ず、普段は車椅子を使用している。 正美が一緒の時は正美が
車椅子を押す。ママがコースに来ない理由の一つは正美が大変に気を遣い
レースに集中出来なくなるからと言う。
今回の食事係りのママは、ミユキのサポートを受け、買い物等をするが、
ミユキは、レースのサポートもしなければならず、ママにはついていられない。
そこでママは自分でマーケットのカートに持たれながら隣のマーケットに
買出しにいくが、勿論英語は話せない。そこで毎日失敗ばかり...
買い物をして、レジへ行くが金額が分からない。そこで財布を出してそこから
取ってもらおうとしたが、お金が足らない。 その場で次々と返品して終了。
そしてカートをホテルまで持って帰ってくる。 マイカートと自慢する。3日も
経つとマーケットでも有名人。 皆が助けてくれるとのこと、ミユキもびっくり。
毎日、朝食、そして昼には、おにぎりを作ってミユキがコースまで運搬。
最初は極一部だけだが、外国選手もおにぎりを欲しがり、日に日に数が増え
最終的には20人前位を作る事となった。
また、夕食にもどんどんと人が増えて、さながらレストランの様になった。
毎日ホテルの庭で、パーティのような事態となる。 海外選手にはカレー
ライスが好評の様だ。 もうお馴染みの選手達は、ママにビールの差し入れ
を持ってくる。
バンケットでは一番の人気者となる。
****************************************************
![](img25/memo57/1.jpg)
![](img25/memo57/2.jpg)
![](img25/memo57/3.jpg)
![](img25/memo57/4.jpg)
![](img25/memo57/5.jpg)
![](img25/memo57/6.jpg)
![](img25/memo57/8.jpg)
![](img25/memo57/9.jpg)
![](img25/memo57/10.jpg)
![](img25/memo57/11.jpg)
![](img25/memo57/12.jpg)
![](img25/memo57/13.jpg)
![](img25/memo57/14.jpg)
![](img25/memo57/15.jpg)
![](img25/memo57/16.jpg)
![](img25/memo57/17.jpg)
![](img25/memo57/18.jpg)
![](img25/memo57/19.jpg)
![](img25/memo57/20.jpg)
![](img25/memo57/21.jpg)
![](img25/memo57/22.jpg)
![](img25/memo57/23.jpg)
![](img25/memo57/24.jpg)
![](img25/memo57/27.jpg)
![](img25/memo57/28.jpg)
![](img25/memo57/30.jpg)
![](img25/memo57/31.jpg)
![](img25/memo57/33.jpg)
![](img25/memo57/32.jpg)
![](img25/memo57/34.jpg)
![](img25/memo57/35.jpg)
![](img25/memo57/36.jpg)
![](img25/memo57/37.jpg)
![](img25/memo57/38.jpg)
![](img25/memo57/39.jpg)
![](img25/memo57/40.jpg)
![](img25/memo57/41.jpg)
![](img25/memo57/42.jpg)
![](img25/memo57/43.jpg)
![](img25/memo57/45.jpg)
![](img25/memo57/46.jpg)
![](img25/memo57/47.jpg)
![](img25/memo57/48.jpg)
***************************************************
![](img25/memo57/49.jpg)
![](img25/memo57/50.jpg)
![](img25/memo57/51.jpg)
![](img25/memo57/52.jpg)
![](img25/memo57/53.jpg)
![](img25/memo57/54.jpg)
![](img25/memo57/55.jpg)
![](img25/memo57/56.jpg)
![](img25/memo57/57.jpg)
![](img25/memo57/58.jpg)
![](img25/memo57/59.jpg)
![](img25/memo57/60.jpg)
![](img25/memo57/61.jpg)
![](img25/memo57/62.jpg)
![](img25/memo57/63.jpg)
![](img25/memo57/64.jpg)
![](img25/memo57/65.jpg)
![](img25/memo57/66.jpg)
![](img25/memo57/67.jpg)
![](img25/memo57/68.jpg)
![](img25/memo57/69.jpg)
![](img25/memo57/70.jpg)
![](img25/memo57/71.jpg)
![](img25/memo57/72.jpg)
![](img25/memo57/73.jpg)
![](img25/memo57/74.jpg)
![](img25/memo57/75.jpg)
![](img25/memo57/77.jpg)
![](img25/memo57/78.jpg)
![](img25/memo57/79.jpg)
![](img25/memo57/80.jpg)
![](img25/memo57/81.jpg)
![](img25/memo57/82.jpg)
![](img25/memo57/83.jpg)
![](img25/memo57/84.jpg)
![](img25/memo57/85.jpg)
![](img25/memo57/86.jpg)
![](img25/memo57/87.jpg)
![](img25/memo57/88.jpg)
![](img25/memo57/89.jpg)
![](img25/memo57/90.jpg)
![](img25/memo57/91.jpg)
![](img25/memo57/92.jpg)
![](img25/memo57/93.jpg)
![](img25/memo57/94.jpg)
![](img25/memo57/95.jpg)
***************************************************
世界選手権終了後、今回はプロトマシンをすべて回収。 これはあくまで
今回の世界選手権用で、殆どが手作りで量産タイプでは無い為に、予備
パーツも少なく、今後のレースでの使用も難しくなる為に、量産品が発売
されるまでは使用しない事とした。
過去にもアソシ等でもプロトは基本的に回収される事が多かった。
帰りにはアソシ社に立ちより、今後の打ち合わせ、そして次のレースでの1/12
のマシンのパーツ、モーター等を依頼。
帰国後は再度テストをしてMX−4のプロダクションモデルの設計を開始するが
こちらは成型品を多用する為に、かなり仕様が変わる事が良そうされる。
その為に私はプロトのままの状態でのマシンの販売を、レプリカとして限定
販売をする事を提案した。
Vol−77 へ つづく...