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廣坂物語
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廣坂 物語
History of the Hirosaka family and Masami.
廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。
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Vol−90
1999年、ディフェンディングチャンピオンとして迎えたオフロード世界選手権が
フィンランドにて開催された。前回1997年アメリカでの大会でMX−4は
プロトタイプで優勝し、その後今年になってようやく市販モデルが発売となった。
近年はオフロード人気も下火になり、変ってツーリングカーの人気が高まり昨年
には世界選手権でテストレースとして開催され2000年には正式に世界選手権
の新カテゴリーとして採用される事となった。
その為に我々もツーリングカーの開発、レースに力を入れることになりオフロードには
殆ど時間を割く事が出来なかった、世界選手権では毎回プロトタイプを投入して
良い結果を得てきたが、今回は全く何も出来ず発売になった市販モデルをそのまま
使用する事となり、大きな不安を抱えての参加となった。
我々の世界選手権史上最悪の屈辱を浴びたレース
通常オフロード世界選手権は、2WDから始まり次に4WDとなるが何故か今回は
4WDより始まることとなった。
コースは大変大きく、高いジャンプのある難コースだった。レース開始され、やはり私の
不安が的中した。 レースは甘いものではなかった、中途半端な準備で臨んだ報いが
直ぐに出てしまった。
事前に感じていたが対処出来なかった弱点があった。 リアーのサスマウントがジャンプの
着地で破損してしまった。しかも予選中2回も、5ラウンド中2ラウンドもリタイヤという
事は致命的だった。
そして1987年以来ビッグレースにおいて、初めて観客席からAメインのレースを見ると
いう、メカニックとして最大の屈辱を味わう事となった。
私はもうこれが限界かなと感じた。長年持ち続けて来たチャンピオンの称号も途切れた。
正美も同感だった。そして、もうこれでビッグレースからは引退しようと決心した。
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世界選手権 2WDクラス
4WD惨敗で打ちのめされた我々だったが、まだ2WDクラスのレースがある。
今回は4WDでも事前に十分な調整が出来なかったが、まして2WDは殆ど
何もしていなかった。マシンも今回はステルスカーでは無く殆ど市販状態の車
の為、練習も皆無だった。
ただレースである以上最善を尽くさなければならない、もうこれが最後の世界選手権
となるかも知れないと思い、気を取り直してレースに挑んだ。
しかしいざレースとなると、やはり調整不足は補えない、マーク、ブライアン達には
及ばないが、何とか予選を3位で通過する事が出来た。
予選の経過を考えると上位二人には及ばないが、何とか少しでもアソシの力に
なれればと正美は言っていた。
ポールはマーク、2位はブライアン、そして3番手に正美というオーダーで決勝が
スタート、マークとブライアンが接触し間を抜けた正美がトップゴール。
予想外の展開だった。
そして2ラウンドはブライアンがトップゴールとなり、正美に大きな重みがかかってきた。
3ラウンドも、やはりマークブライアンの激しい競り合いで接触があり、また正美
が抜け出しトップを独走し、優勝となった。
まさにタナボタとも言える勝利だった。
私達はこの奇跡の勝利は、天からの贈り物で、まだレースを止めるな!
いうお告げだと感じた。
そして新たな情報として、来年のオンロードの世界選手権は急遽日本での
開催となる事が分かった。
この2000年の世界選手権はオンロードで1/12、1/10、そしてツーリング
の3種目が正式開催される事となり、1/10は最後の開催となる。
正美は再度挑戦をして、3種目すべてを制覇して引退を表明すると誓った。
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Vol−91 へ つづく...
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