廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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   Vol−47

 1992年
 7月6日〜11日 1/12世界選手権




 数多くの参加したレースの中でも特に記憶に残る印象深いレースだった。
 レース前には、バッテリーの公認問題等おトラブルがあったが、いざレースが開始
 されると、想像以上の健闘で、予選終了時には99.9%勝てると確信をした
 程だった。そして決勝3ラウンド中、2ラウンドを制し、皆が正美の勝利を確信
 したが、正式結果は...タイム差で正美は勝てなかった。

 オフロードではポイント制の為に、2ラウンドを勝つと、優勝だが、オンロードは
 まだ、上位2ラウンドのタイム合計での集計だった。

 最初から最後まで、明暗が繰り返し訪れた、苦しい展開で大変勉強になった
 レースだった。




    

     




 

     

     

    



    

    

    

    



    

     



    

    

    



 




  

    

    

    


  

  

    

    

    





    
    

    

      

    



    

 

 







    
    
    
    

    


    



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 今回は最初から最後まで、明暗の繰り返しで結果的には、99%勝利を確信
 していたレースを落とす事になってしまった。 しかしそのお陰で、色々と多くの
 収穫を得る事が出来た。

 モーターとバッテリーの相性、そして省エネ走法の習得等...
 今回は最初にバッテリーの公認のトラブルがあった為に、リーディ氏も最初の
 予定を変更し、多くの種類のメーターを用意しなければならなかった。
 しかし、その結果、多くのモーターバッテリー等と走行状況をテストする事が
 出来、正美の脅威的は省エネ走法を実現する事が可能となった。

 今回のスケジュールでは、非常に多くの回数を走行する事となる。 練習等も
 含めると、約30回以上走行する事が可能となった。
 その為に、多くのモーターやバッテリーのテストをする事が出来た。


 
用意していった指数表だが、殆ど使用する事は無かった。




 タイムスケジュール
 
 練習日は、2日間 Tタイムプラクティス、(自分で登録して、練習する事が
 出来る) 走行後すぐに次のヒートを登録すると、5回くらいの走行が可能。

 予選は全部で9ラウンド、毎朝練習走行が可能。
 決勝日も練習があり、そしてコントロールプラクティス、メインが3ラウンドと
 非常に多くの回数を走行する事となる。 バッテリーの本数も大変だ。





 予選最終ラウンド 結果

 
正美は、7分前までナイジンガー選手とほぼ同じペースで走行し、ペースが
 落ちたナイジンガー選手を尻目に、中半と同じペースで走行し、TQを獲得。





           ナイジンガー 選手     正美
    


 そして、第6ラウンド 全開走行すれば? との疑問に...
 誰も出す事が無い、17秒台をマークし皆を驚かせ、6分30秒でダウン!


     
  

 予選結果(51位まで)   参加110名 (10名欠席)




















 車検でのチェックシート 






  



  



    

    



  





    

    
    
    










  



















    









    



    

    

 

     



   

     


 この頃から、世界選手権にての 6セル or 4セルの、議論が始まった。
 










 今回のレースでも、昨年に引き続き、もう目の前に勝利があるにも拘わらず、
 逃がしてしまった結末に、大きなショックを受けたが、これらの原因はやはり
 自分達の詰めの甘さだと痛感した。勝負はゲタを履くまでまで分からないとは
 良く言ったものだ。

 今回は、最初からあまりにも調子が良すぎて、このまま行けば問題なく優勝
 出来るのでは? と鷹を食っていた。 本来なら第2ラウンドを失敗した時点で
 次を考えなければならないのだが、トニー選手との激しい競り合いをしてしまった
 のは、大きな失敗だった。この時はタイムを出さなければならず、冷静に考え
 れば、競り合わずにタイムを出す事を考えなければならないレースだった。

 これ以後は、私達は本当にレースが終わり結果が確定するまでは、決して気
 を抜かず、握手もしないし笑わない事とした。

 しかし、後日決勝第3ラウンドでのトニー選手との歴史的な大接戦をビデオで
 見て、多くの人が感動したと思い。これで良かったのか? と思った。




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