廣坂 物語 
 History of the Hirosaka family and Masami.


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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   Vol−70

  1996年 オンロード 世界選手権





   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   






  







    





    

   



    

    

    



  

   
   



  今回の世界選手権でのエピソード 前代未聞の出来事。

 オンロード1/10の予選、組み合わせの中に、とんでもない選手が正美の
 組に入っていた。 おそらくアジアのどこかの選手だろう。 世界選手権に
 参加出来るのか? と思える位、未熟なドライバーでまともにコースを走行
 することが出来ず、フェンスに当たりまくっている。しかもマシンの調子も悪く
 コース上でフラフラしている。 当然ラップも遅い為に、正美は直ぐに追い着き
 危ない追い越しをしなければならない。そのためにラップも落としてしまう。

 皆が心配をしたが、最初はマシンがまともでないから上手く走行出来ないの
 だろうと思っていた。しかし予選が始まっても、ますますひどくなる様で、他の
 選手の妨害となっていた。

 私は、役員に抗議を入れたが、組み合わせを変える事も出来ず、仕方が無い
 との事で、そのままレースを継続。しかしこれが大きな障害となり、正美はかなり
 精神的にダメージを受けていた。

 そしてついに最悪の事態が起こった。 予選で思うようにタイム出せなかった
 正美だが、気分を入れなおし気合の入った走行を見せ、TQタイムで走行中
 例の選手がコースを飛び出し正美の真正面に...そして激突!

 マシンは大破、正美はリタイアとなってしまった。 選手は警告を取られたが、
 正美には救済処置は無い。 これが最後まで響き、結果的には成績不振と
 なった様に思える。

 この後これを教訓として組み合わせを変える事も検討される様になった。



  バッテリー 秘話

 当時私は、サンヨー及びパナソニックの開発テスト要員として、両社の試作品
 や製品のテストを担っていた。 両社はライバルではあるが、勿論両社了解の
 もとであった。

 以前は、パワーのサンヨー、時間のパナソニックという位置付けだったが、私の
 要望は、サンヨーのパワーでパナソニックの走行時間であった。 勿論両社共
 目指す所は同じであった。

 そして2、3年前より、ドイツのGM社が特許を取ったという”ザップド”が密かに
 マッチドメーカーに伝わっていた。ただ本当の技術は分からず、各社が独自で
 色々と試行錯誤してテストを進めていた。 勿論サンヨーも承知でサンヨーは
 GM社より特許権を買ったようだが、RC用バッテリーには使用しないという契約
 だったようだ。

 勿論我々も、色々な情報を集め独自に、機器の開発を進めていた。 
 これらは主メーカー間では、紳士協定ではあるが公表はしないとしていたが、
 この世界選手権で突然、ORIONがザップドマシンの販売という発表をして
 世間を驚かせる事となった。 その後はザップドが世間では一般的になったが、
 原理が良く分からないままに進めたメーカー等もあり、バッテリーの破損事故や
 全く効果が得られない事も多くあった。







  




 

 

 

 




 

 

 


 
 





  


  



 



  







 


   



 











 





  

  

  



 

 

 



 













 

 

 

































   Vol−71 へ つづく...