廣坂 物語 
 History of the Hirosaka family and Masami.


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

 ***********************************************

   Vol−84

  1998年 1/12 オンロード全日本選手権

 1/10オンロード全日本選手権から一ヶ月。 次は1/12全日本選手権
 1/10では、結果として良い状態だったが、世界戦で苦汁を舐めたLRPの
 NEWアンプを多くのライバル選手が使用するとの情報により、我々も手綱を
 引き締めて掛からなければならない。

 1/12では、パワーソースの効率が大きく左右する。 我々はやはりLRPを
 使用する事は出来ない。 私に出来る事は、何とかバッテリーでカバーをする
 事である。

 私はパワーソースはバッテリーを担当している。ほぼ1年中バッテリーのチェック
 を行っている。 マッチドバッテリーとして販売をするだけで無く、チームメンバー
 のレースバッテリーもサポートする。

 私のチームでは、サポート選手が非常に多い為、他のチームの様にバッテリー
 を提供するのでは無く、すべて貸し出しで、レース終了後には回収し、再度
 チェック、マッチドして次回に使用する。 年間およそ500パック程を管理して
 いる。

 勿論、バッテリーには性能に差がある為に、すべてのメンバーに同等という訳
 にはいかず、私の独断で実績やその時の状態で分配するが、大きな差は
 無い。 ただ決勝Aメインに入ると、一ランク上のバッテリーを用意する。

 ただチームメンバーの中には、いつも正美だけはスペシャルの良いものを使用
 している...と不満を言うメンバーもいるようだ。

 ただ、原選手だけは違った。 彼は自分は与えられたもので全力を尽くす。
 そして正美さんは、チームリーダーであるから、常に一番良いものを使用する
 のは当たり前だと言う。

 奇しくも決勝では、正美、原の対決の様相が感じられた。二人のマシンは殆ど
 すべてが同じ、周りは私は当然正美を勝たせようとすると思っている。

 私は決勝レース用として、3本セットのバッテリーを2セット用意して原選手に
 これは、正美と二人用の決勝バッテリーだ、どちらか好きな方を選べと言った。
 僕は広坂さんを信用しています。 どちらでも良いです。 と言った。

 私と原は何とか打倒正美の作戦を立てた。私は原選手なら次期チャンピオン
 の資格があると思った。しかし打倒正美は並大抵では無い、まともに挑んでも
 勝ち目は無い。 とにかく変に追い込むとパワーを無駄使いする、そのために
 仕掛けずに出来るだけ後ろに付き、様子を見る。後ろの方がパワーをセーブ
 出来る。そしてプレッシャーを掛けると、ひょっとしてミスをするかも知れない。

 そして6分過ぎると、あとは残量勝負となる。 どちらが多くの残量を残して
 いるか? で勝負が決まる...とアドバイスをした。 結果はやはり正美の
 方が一枚上だった。 しかし大きなプレッシャーを与えたのは事実だった。

 通常の、練習では二人とも省エネの練習をするが、正美では全開で6分半
 位の設定で8分走行させる事が出来るが、原選手は7分位が限界だった。










   

            

    

               

                

        
        

     
     

                         

     



 

   

    







   

 

      

     



   

   

      





  

  







   
   
   
   
   
   

 

    

   

   

      

    








     

     



   
   

  

 





  レースが終了すると、今度は市販に向けての設定をしなければならない。
  12Lはアソシエイテッドの商品であり、クリフレット氏が設計等を担当して
  いるが、私も一部設計に携わっている。 クリフはRC−10もそうだが、
  シャーシはハード仕様が好みで私はどちらかと言うとソフト派である。

  この12Lも路面のグリップが低い日本では、ソフトシャーシの方が走行させ
  易いと思い、日本では私の設計したシャーシで発売する事とした。
  アメリカでは、ハードシャーシで販売された。 シャーシ形状は少し違って
  いる。


 



             

     


          

    


    
    
    



 ***************************************************

 1/12全日本選手権が終了し、休む間も無く次はツーリング全日本。
 現在では一番人気のカテゴリーになりつつあり、気合をいれなくては
 ならない。

 今回は、去年に続き群馬県の川場村での開催。 昨年はテニスコートに
 特設コースを設置して開催されたが、今年は新たにホテルSLの駐車場に
 常設のコースが新設された。大変立派なコースで、少し斜面に設置されて
 いる為に、高低差のある面白いコースとなった。

 川場はスキー場で有名だが、コース近くにはホテルが一軒しか無く、昨年は
 村の薦めで選手達の宿泊は民宿を斡旋された。しかしこれが問題で、
 大部屋に数人が雑魚寝状態で、私は常にホテルで整備をするが、とても
 部屋で整備等は出来る状態ではなかった。 しかし食事は美味しかった。

 そして今年は、沼田でホテルを探し事前に予約をした。今回はアメリカより
 3名の選手を招待した為に、和室で...と言う訳にもいかず。ホテルでの
 宿泊となった。 また海外選手の送迎等の面倒も見なければならず、私は
 パニック状態。 

 しかしこんな中でも開発も進めなくてはならず大変だ。
 早々に現地入りして、調整をする。




      

       

     

        

                         

         

                   

                

  




    

    

    

     










 


               

     

         

         

       

  

  











  



 















   














 何とか無事職務を果たし、安堵もつかの間、今度はアメリカ、ラスベガスにて
 ツーリング全米選手権に向う。早々に準備をして渡米。
 7月の世界選手権から、3ヶ月間で5大会の参加となる。



   Vol−85 へ つづく...